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「なにしょんな」第 28 号 2014年5月
ふるさと会会員 藤嶋 秀機
その日は、梅雨の季節にしては快晴で、瀬戸内海の海上を飛んでいる飛行機(松山~東京便)から、讃岐平野がパノラマのように見えて、田植えが済んで、初夏のいよいよ(光量)を増した陽光を反射して(鏡)をはめ込んだようにキラキラひかる、無数の(田んぼ)と(ため池)のパッチワークの中に、阿讃の山並みに見え隠れする(塩江の街)や(香東川の流れ)を探していました。初夏と言えば、子供の頃の50 年以上も前の6 月の(田植え)のことが頭に浮かびます。田植えは今よりずっと遅く、6 月半ばだったように思います。(樺川はため池も少なく、川も小さくて空梅雨で水不足の年には7 月にずれ込むことも稀にはあった)私の家は樺川の北内にあって、5~6反歩の「棚田」の田んぼと7反歩ぐらいの畑(主力はたばこ)の農家でした。まだ耕運機などもなく、農作業は「牛」の動力に頼っていて、ほとんど「手作業」で、特に田植えや稲刈り時期は、隣近所の農家との共同作業と親戚の手伝いで行っていました。私ら子供達も学校の「農繁休暇」をもらって結構“頼り”にされていて牛の世話や、苗運びとか、弁当運びとか、おだてられながら頑張って手伝っていました。田植えが済んで暫らくして、田んぼ一面に、ようやく生えが揃った稲を見て、家のみんなは、秋の収穫に思いを馳せて田植えが終了した達成感と満足感にあふれているようでした。子供心にも「とても綺麗な」風景の時期で、初夏の清々しい気候に恵まれて、稲の葉先が「朝」には、夜中に吸い上げた水が「丸い水玉」になって朝日に輝いて「田んぼ一面・金色」になったこととか、「昼」には、真上からの光にチラチラと揺れて「濃いみどり色」だったことや、「雨の日」には「もや」に霞んで「灰色がかったうすみどり色」で、ずっと遥か向うの山まで続いていたことなど、素晴らしい景色が目に浮かんできます。今「永らく」都会に住んで、自分の生活や仕事に追われて思い出すことのなかった、塩江の…初夏の…「ふるさとの原風景」…を…思い出させてもらっています。(塩江樺川出身都内福生市在住)
ふるさと会会員 村上 和子
疎開していた旧高松市内より、父の里に住み21 年。裏山や川遊び場にし、春は母や妹達と土筆やワラビ取りに襟を取るのは大変でしたが、あの玉子とじの美味しさは忘れません。子供達も小学校時代を髙松で暮らした為か、安原の今は亡き、母や妹の思い出と共に土筆の玉子とじを懐かしく思っている様です。また空豆を叔母の畑に大きなビニール袋を持って沢山取り煮豆にし、お鍋一杯作り贅沢と思った事。乾燥空豆を買って自分味の醤油豆を作ったりします。夏は川で父の背中に乗って泳いだ事。ホタルも一杯いました。また校庭でチャンバラ映画も見ました。今では考えられない事でしょうね。秋は友人たちと裏山でコクバ(松の枯葉)を拾い風呂の焚きつけに、帰りに木の実を食べ、口中紫色にして、お互い大笑いしながら帰った事。秋の運動会は賑やかだった、生徒数も多かったし、素足で徒競争、あの行進曲が流れるとドキドキしたものです。冬、今より雪が一杯降っていました。学校の運動場では雪合戦や、雪だるまも作りました。私の中で一番忘れられない事は、内場ダムが内場池だった頃。一日何本しかない一つ内行のバスを利用して、相栗峠を超え母の実家に行った事。歩いていて運よくトラックの荷台に乗せて貰えた時は嬉しくてしかし随分遠かった。今思えばよく行ったものだと思います。何時の時か台風で帰れなくなり学校を休む事となり、父の家に入れてもらえず近所の知り合いの家に行った事。父の言い分は何はともあれ学校を休んだと言う理由です。ふるさとの初夏は周り一面樹木が芽吹き淡い緑が深緑に変わっていく様は今でも故郷の一番好きな景色です。ふるさとが有って良かったと思う今日この頃です。今年も初夏にふるさと塩江を探ねる予定です。思い出すまゝにお題の「ふるさとの初夏」とばかりにはならなかった事、悪しからずです。(安原音川出身 都内町田市在住)
ふるさと会会員 崎川 修
66 歳になった今、少年期の1 冊の日
記の奥に、日々の生活を通して感情や
自らの人格形成を垣間見ることができ
る。というわけで、その日記にある“ふ
るさと塩江の夏”にタイムスリップして少年時代の記
憶を蘇らせてみようと思う。1961 年(昭和36 年)8
月、13 歳の私は、塩江中学校第三教場の1 年生であ
った。この夏一番、大ウナギ取り物帳なることが書い
てある。8 月7 日、雨のち晴れ、少年たちが川遊びに
繰り出すのは、いつもの場所“えだはん淵”(一ツ内
バス停の斜め下)である。ちょうど西山地区と東山地
区から流れ来る川の合流地点にあり、小さな滝と飛び
込む岩場もあって冒険に富んだ自然のプールである。
いつものように潜って魚を探しているとき、岩の下に
ある穴を覗くと、見たこともない大ウナギと目が合っ
た。目と鼻の先である。水族館のガラス越しに見るの
とはわけが違う。高鳴る鼓動で苦しくなったが、対す
る大ウナギは静かにえらで呼吸しながらこちらを睨
んでいる。これは仕留めなければと逸る気持ちを抑え
て少年は夢中でモリを大ウナギに向けた。しかし、さ
すがにこの池の主である大ウナギは逃げてしまった。
それから2 日後、昼食を済ませ、同じく“えだはん淵”
で水遊びをして上がろうとする時であった。川面の下
にあの大ウナギの影を見つけた。この獲物を他のやつ
に盗られてたまるかと急いで家に兄を呼びに帰り、
“ツキ”を手に川へ入る。この大ウナギは、この兄弟
たちに“わやにされ”(無茶苦茶にされという意味)、
一度は水面から出されたが、腕に巻き付き、モリを外
して、大きく跳ねてふたたび池に入ってしまった。し
かし、しつこい2 人には勝てなかったようだ。悪戦苦
闘すること1 時間、ついに“えだはん淵”の主を仕留
めたのである。日記によると、長さ約1m位(タライ
を丁度一回りしていた)で、太さは僕の腕ぐらいあり、
重さは、200 匁(750g)を超える大ウナギであった。
さて、大取り物の末に仕留めたこの大ウナギ、少年は
その勝利の味を堪能したのかと思いきや、なんと気を
良くした父によって、その酒飲み友達である塩江のラ
ジオ屋のおっさんたちの胃袋に納まってしまったの
である。さらに日記にはこう続いていた。「父はウナ
ギを100 円で買ってやると言ったにも拘らず、まだ
100 円をもらっていない」と。大人はいつもこうなの
だと。悔しい思いもしたが、こうした経験や毎日の冒
険を与えてくれたふるさとの自然が私を育ててくれ
たように思う。(上西一ッ内出身 都内多摩市在住)
ふるさと会会員 熊野 弘文
ふるさと塩江を18 歳で就職のため故郷を後にしました。53 年後の今、鮮明に18 年間過ごした、田舎の思い出を述べさせて戴きます。ふるさとの初夏には、山間には美しい棚田が散在し緑に覆われた阿讃山脈、小川のせせらぎには蛍が生存して、綺麗な蛍火をあちらこちらで見ることができました。又、塩江町の町花である合歓の木の白い花が咲きほこり自然豊かな塩江に生まれた事を幸福に思っております。夏には塩江小中の共同運動場の盆踊り大会、塩江だけではなく他の市町村から、遠くは徳島より約20 連の盆踊り大会で、一合蒔いた、金毘羅船々等の踊りを町民全員で楽しんでいました。又、讃岐の奥座敷として有名な花屋旅館(今は存在しませんが)近辺で盛大に行われた花火大会では、仕掛け花火の「ナイヤガラ」の滝は特に素晴らしかったことを覚えています。素晴らしい伝統と自然豊かなふるさとを誇りに思います。(塩江小田出身 都内大田区在住)
ふるさと会会員 岡本 幸江
近年にないほど今年の春は遅く、桜の花も何時となく散り初夏に向かいました。樹木の新芽もふくらみ新緑の時期となり山々の景色も変わり、何処とはなく気持ちも軽やかな季節になりました。一年を通じて暑くなる前の一番良い季節だと思います。今まであまり故郷の山々、ましてや新緑などを思い出す事が少なく過ごして来ました。年齢を重ねてきた今、ふと!ふるさと塩江の山々を思い出されます。先日、家の近くの小さな八百屋の店先でイタドリを売っていました。都会のこんな場所で故郷の子供時代に山道で採取したイタドリ!きっとお店の方は田舎の人かなと懐かしく感じ、故郷の昔が甦りました。思えば今の時期、桜の木をくり抜きそこに塩を入れ、イタドリ、ワラビ、ゼンマイなどとオヤツ代わりに食した子供時代。そんな自然を知らない都会の子供たちが少し寂しく可哀相に思います。あと、何度ふるさと塩江の初夏の山々を見ることが出来るでしょうか。と今日思い返しています。懐かしいふるさとの山々に囲まれて静かに暮らしをしたい心境になるふるさとの初夏です。(上西焼堂出身 大阪府富田林市在住)
ふるさと会会員 熊野 亜紀
約4 年前からふるさと会に参加させていただいております、熊野亜紀と申します。大学卒業後の慣れない東京での生活の中、塩江に縁のある方々の集まりは私にとって、とても安らげる場所のひとつでした。また、自分が生まれる前のふるさとの話を聞ける貴重な場でもありました。しかしながらこの度、転職にて地元香川に帰ることになりました。香川での生活は高校を卒業して以来、およそ12年ぶりとなります。毎年帰省していましたが、これまではお盆や年末年始の帰省だったため、もう随分この時期のふるさとを見ていません。住んでいた頃は山ばかりでなにもなく、田植えの時期はカエルの鳴き声がうるさくて眠れない、そんな印象でした。地元を離れて生活するにつれ、あの頃は当たり前だった、山々の新緑の景色や段々畑が懐かしく思われるようになりました。特にホタルの乱舞している様子は塩江を離れてから一度も見ることはありませんでした。これからはまた毎年見られると思うと楽しみでなりません。どれも特別な景観ではないけれど、その景色を見て落ち着いたり、また明日から頑張ろうと思える、そんなふるさとがあることを今更ながら嬉しく思います。これからはふるさとにいながら、自分にできることをやっていけたらと思います。(塩江生江出身 香川県高松市在住)
「なにしょんな」第 27 号 2013年11月
ふるさと会会員吉井加寿子
台風27号が南にそれ、30分遅れで高松行は飛び立った。会長はじめ役員の方々の、昨夜から続いていたハラハラ、ドキドキはやっと治まったことだろう。大変お世話になりました。高松空港から直接、椎茸狩りに行きました。幾つになっても収穫は楽しいものです。箱にてんこ盛りの椎茸を大事にセカンドステージに運びました。
「この道はいつか来た道」という歌がある。私には「讃岐路はまた行きたい道」という思いがある。セカンドステージは4回目になる。中国語、ハングル、点字の表記まであり、ますます賑わっている。丁度、台湾からのお客さまと一緒になりました。登山ブームに沸く韓国からも剣山に登りに来るようだ。松茸博士こと吉村先生のお話は、日本の食文化から松茸が消えないようにするにはマツタケ菌と栽培に必要な環境整備が大事で、それには10、20年がかりで取り組む必要がある。と言ったような話でした。関心は明日の朝食、3本の松茸で炊く「松茸ごはん」で一杯でした。懇親会は塩江の歌に合わせて、にわか仕込みのふるさと会も一緒に加わっての、塩江踊りで盛り上がりました。
27日は一転して澄みきった青空!瀬戸芸、第一コースは鬼が迎える女木島。バス、電動自転車、徒歩に分かれて山の中腹にある洞窟へと向かいました。そこには摩訶不思議なワンダーランドが広がります。そして外へ出ると「瀬戸の花嫁」の歌景色です。第二コースは小豆島。オリーブの生い茂る大きな島です。緑、赤、黒の実を初めて触りました。千枚田の巨大な藁アート、干潮時に渡れるエンジェルロード、圧巻はサンセットポイントです。空、雲、海を茜色に染めて、島影に沈む夕陽の美しさに目を見張りました。
28日は三都(みと)半島のガイド付き芸術鑑賞です。島と海をテーマにした、発想のユニークさを感じる日本、海外の作品が室内、屋外に展開されている。高校生はじめ地域住民の参加も「芸術祭、日本一」を支える力になっている。高松のシンボルと言ったら、屋島。テーブルマウンテン形は海からの眺めが№1と感心していると、もう入港です。晴天に恵まれ、大満足の「瀬戸内芸術祭」でした。(神奈川県大磯町住)
東京・別海ふるさと会副会長青山和好
高松・塩江ふるさと会「ふるさと松茸狩り瀬戸内国際芸術祭の旅」2泊3日コースに参加させて頂きました。10月26日出発日、台風で出発出来るか心配でしたが予定通り出発する事が出来、先ずは一安心しました。高松空港にはホテルのバスが迎えに来ていて、そのバスで椎茸狩りに行き楽しみました。松茸狩りは都合(今年は珍しいぐらい大不作)で中止ホテルへ直行。吉村先生による松茸山再生の講演がおわり懇親会。塩江の皆様方の歓迎を受け、歌あり、踊りありの楽しいしい初日でした。2日目は素晴らしい天気になり、女木島(鬼ヶ島)へ、昔話で桃太郎の鬼退治伝説が残っている大洞窟を見て高松港へ。そして宿泊地小豆島へ到着迄の時間、瀬戸内海の素晴らしい島々を眺めながらの船旅。港に着きバスで瀬戸内国際芸術祭の作品を見ながら宿泊する小豆島ふるさと村へ。そこで瀬戸内に沈む夕陽に感動しました。そして懇親会、矢張り歌あり、踊りありの楽しい2日目。28日は旅行も最後、瀬戸内国際芸術祭の作品を見学して、午後小豆島より高松港へ。そして空港である高松を後にして東京へと本当に楽しい旅でした。遠く故郷を離れて首都圏に住む私共にとり。ふるさと会は心の大きな寄りどころです。郷土愛に結ばれた者が一同に相集い懐かしみ、そして郷土に寄せる熱き思い、そんな心を同じとする者が揃って郷土への旅行、こんな素晴らしい事はないと思います。今後も郷土を同じくする者の絆が益々深まることをお祈りし旅行に声をかけてくださいました、ふるさと塩江会の皆様に御礼を申し上げますと共に会のご発展を祈っております。本当に楽しい旅でした。「いいもんだあ~な~。ふるさと~は~」(千葉県九十九里町住)
ふるさと会会員和泉幸弘
先日は「松茸狩りと瀬戸芸」帰省された池田会長、会員の皆様元気なお姿を拝見し安心しました。懇親会での余興で音響機器の音量調整不良があり(初使用の為)大変失礼をしました。私事ですが「新しい塩江の歌」を作り始めて6年近くなりました。皆さんにとって故郷ってどんな所でしょうか?私にとって故郷は美しく清らかで懐かしいではなくては(良い思い出が無かったとしても)いけません。小さい頃から三橋美智也の故郷歌謡を聴き過ぎたのでしょうか、故郷から遠く離れた所に住んでいるわけでもないのに、両親がなくなってから特に望郷の気持ちが強くなりました。故郷はいつまでも優しい父母であり、初恋のように甘酸っぱいものであつて欲しいと思います。私にはドロドロした人生模様は描けません、したがって詩を書く事が一番大変です。塩江の名所とかを読み込み情景が浮かぶようにすれば反対にドラマがなかなか作れません。毎日、朝夕散歩しながら詩とメロディを思いつくまま口ずさみ、帰宅後、詩をメモし、又翌日もその作業を続け、気に入ったフレーズが浮かんだら歌ってみて徐々に作り上げて行きます。これからも塩江が故郷でよかったと思えるような作品を作れるように勉強して行きたいと思います。藤沢テルエ先生&塩江民舞同好会の皆さん、塩江中学校昭和38年卒業の仲間たち(「塩江つれづれ」の藤沢保さん、小説の島上旦司さん他)及び地元の人達と力を合せ、我が故郷塩江のイメージアップ並びにPR活動を続けたいと思います。急に寒くなってきました、皆様も風邪をなど引かないようにしてください。又お会いできる日を楽しみにしています。今後とも宜しくお願いします。(高松市一宮町住)
ふるさと会会員藤澤保
去る10月26日開催された、ふるさと交流では大変お世話になりました。吉村先生によるマツタケ山を再生したマツタケ栽培はできるという講演にはすごく興味深いものがありました。我が家にもマツタケ山がありまして、かつては何十kgも採れていたマツタケ。ここ2年一本も採れません。赤松がドンドン枯れていって山は無残なものです。先ずは松クイ虫の防止、雑木の伐採、こくばかきと前途多難ではあります。塩江産のマツタケが昔のように沢山採れるようになるために再生に向けて取り組むことは非常に意義あることだと思います。それから、私は昨年より赤いソバを栽培していますが、今年は約200坪に可憐な赤い花が咲き誇りました。朝日新聞の記者の方から今年はどうしても紹介したいと掲載戴きました。新聞を見られて高松市内を中心に坂出、丸亀、満濃、白鳥、遠くは小豆島からも見学に来られました。皆様第一声は「うわーきれいですね」「かわいい花」と。来年は、手打ちソバをいう夢があります。藤川牧場の藤川会長も、塩江を元気にと1500坪の広さにコスモスを植えられました。今年の秋は塩江に名所が二つできました。こうして塩江に来られるお客様は、道の駅で買い物をしたり、食事をしたり、また温泉を利用したりされています。年間通じて塩江へ来ていただけるように魅力ある塩江、活力ある塩江をめざしてより一層願張りたいと思っています。(高松市香川町住・塩江出身)
「なにしょんな」第 26 号 2013年5月
香川県東京事務所長木村清貴
高松・塩江ふるさと会の皆様、はじめまして、今年4月から香川県東京事務所長を務めている木村と申します。池田会長様はじめ、会員皆様方には、郷土香川の発展並びに塩江町の活性化の支援に取り組んでいただいており、深く感謝いたします。
さて、私が塩江に抱くイメージは、温泉と自然豊
かな山並みの町というものです。
平成になってから5・6年間、当時所属していた課の親睦行事で塩江の民宿にお世話になり、昼過ぎからバーベキュー、夜は温泉につかり、翌日の昼に打ち込みうどんを食べて解散という、とても楽しい年中行事でした。屋外で山々の紅葉を愛でながら、清々しい空気の中で、料理はひと味もふた味もおいしくなります。温泉の泉質も高く、他の有名温泉郷にも引けをとらないと思います。翌日食べる打ち込みうどんが絶品で、未だにあの味が忘れられません。
平成4年秋には、香川県初の県立自然公園「大滝大川県立自然公園」が誕生しました。毎年バーベキューで塩江を訪れていた私にとっても、感慨深いものでした。おぼろげですが、当時塩江町は四季の移ろいに合わせて、町を挙げてのお祭をしていたと記憶しています。県立自然公園のオープン記念行事をお祭に合わせて開催したと思います。紅葉が山を彩る中、地元の方々に打っていただいた蕎麦をすすり、塩焼きにしたアマゴをほお張ったのですが、その旨さは格別でした。その後も、塩江を訪れる機会は結構ありました。塩江美術館で、粘土を捏ねて形をつくり、手作りした焼き物は今も高松の家に有り、時どき焼酎を飲むのに使っています。もちろん、釉と焼きは専門の方に頼みましたが。また、子どもが小学生の頃は、毎年のように夏の花火まつりに出かけましたし、サッカーの交流試合にも行きました。ある年の夏まつりでは、時間帯が悪かったこともあり、駐車場が満杯で、車で通り過ぎただけということもありました。どれも、懐かしく、楽しい思い出です。
塩江は泉質の良い温泉と豊かで美しい自然に恵まれています。景色として眺めるのも良いですが、一人でも多くの方に、自然と触れ合い、自然の素晴らしさを体感していただければと思います。
高松市市民政策局地域政策課塩江支所長和泉孝治
この度ご縁があり会報26号に寄稿させていただくことになりました、高松市役所塩江支所の和泉孝治と申します。4月の人事異動によりまして、尾形前支所長の後を引き継ぐこととなりました。前支所長同様変わらぬご厚情をいただきますようよろしくお願いいたします。私も旧塩江町の職員であり、ふるさと会発足当時に担当課として関わっており、20数年前に池田会長とお会いしてから、今もまったく変わらない会長のバイタリティーとふるさと塩江に寄せる情熱にいつも驚かされているところです。さて、現在3校の小学校が統合した新たな「塩江小学校」が平成27年春の完成に向け建設中です。また、新小学校の校歌も作成中であり、校歌に入れてもらいたいフレーズを募集中です。それぞれの小学校の校歌はなくなることになりますが、特にふるさと会の皆さんにとってはそれぞれに思い入れがたくさんあることと思います。私の母校の安原小学校の校歌の冒頭は「阿讃の山に日が映えて奥野の桜咲くところ…」です。今年も奥野の千本桜は見事な花を咲かせ、藤澤正則様の山側から見る光景はすばらしいものでした。塩江小学校の校歌の冒頭は「香東川の水上に武庫山を背に負いて…」です。この歌詞には小学校名が全く出てきませんが、歌詞が非常に力強く塩江の情景が目に浮かびます。また,上西小学校の二番の校歌の冒頭は「内場の池の水すみて…」です。今、内場池はユル抜き前で満面の水を湛えています。ふるさと会の皆様はそれぞれの校歌と共に情景が浮かび郷愁の念に駆られることでしょう。今、塩江の自然を再認識し、思い浮かべる情景がいつまでも変わらないことを願うと共に、これらの財産を守っていくことが地元にいる私達の使命であると思います。
「私とふるさと塩江」
後藤徹
「トオルちゃん」と懐かしく呼ばれて振り向くと。お元気そうな地元のお爺さんがいた。20数年振りのふるさと安原西谷神社の秋祭り。幼少のころからご近所で、お世話になった懐かしい方。獅子舞の鐘の音で話す声が途切れるが、温かい笑顔に接し溢れる程に気持が伝わる気がした。「ふるさと」とは、いつまでも変わらない景色もあるが、そのころと変わらぬ人に、出会えることだとも思う。郷里の方々と、幼馴染の同級生。時と場所が変わってもいつまでも大切にしたいと思う。ふるさと塩江を離れ30有余年。転勤が多く、松山、東京、名古屋、上海と離れていても、帰省時、塩江行バスを見るとホットさせられる気がしていた。疎遠になりがちな中、一昨年の塩江中学校創立50周年記念日と、昨年の塩江ふるさと会行事に参加させて頂いた。創立50周年の式典に、在校生の皆様を後部席からそれと無く、そのマナーと心構えを拝見し、また、後日3年生の皆様と集い、スッカリ塩江中学校生のファンになってしまった気がする。仕事柄、ここ数年、短大と各大学でのセミナーの機会が増え学生と接する中で、塩江中学の皆様のマナー、そして素直なお気持ちが有れば、立派な社会人になれると確信しています。塩江中学校生の50年先輩として、ふるさと塩江の自然環境の良さと、温かい方々との触れ合いを大切にし、未来に羽ばたくことを、塩江ふるさと会の皆様と共に応援していきたいと思います。(高松市内在住)
喜田尊弘
私達家族(夫婦・子供三人)は平成十九年四月に塩江町へ越してきました。子供は長女五才・長男三才・次男一才なのですが、三人とも離乳食を始めた頃位から小麦と卵の食物アレルギーがあり、長女・次男は関節を中心に全身
皮膚に、長男は体内(消化器官)にアトピーの様な発疹と痒みが出ていました。子供とは残酷なまでに素直なもので、保育園での生活の中で、長男は皆と同じものを食べられないことで泣きじゃくり、長女は皮膚が荒れていることで少し敬遠している子もいて内気な性格となっていました。これはどうにかしなければいけないと夫婦で考えている折、少しでも空気と水の良い環境の所に行けば・・・と、藁にもすがる思いで、ある方との御縁から塩江町に住まうこととなりました。塩江に来て、地域の方々は快く迎え入れてくださり、子供達は食物アレルギーの数値も下がり、今では楽しく元気に小学校へ通っています。塩江に来てから家族も更に二人増え、こんなに素晴らしい環境の塩江に少しでも恩返しが出来れば・・・と今、私はほたる祭りや各種コミュニティーに参加させてもらっています。
塩江・・・ここが私達の第二の故郷です!
立本直樹
私が高松市南部の塩江町に来たのは三年ぐらい前です。私は大阪の人間で住宅街に住んでいました。
友達が塩江町で産直兼食堂で働いていたので旅のついでに寄ったのですが居心地がよくてそのまま住みついてしまいました。その産直の仕事のおかげで町に暮らす農家の方々や色々な方と知り合う事ができ山間部の方で家を借り住ませてもらっております。ワンコと自分の三匹暮らしです。畑も借り近所の方々の協力もあって半たんぐらい大根やらサツマイモ他少しの野菜が作れました。こちらに住む方々は山の知識や知恵があり日々感心しています。家の裏には山菜ゼンマイやワラビがよく採れ四季にあった食べ物が新鮮なうちに食べられます。今は以前働かせ頂いていた食堂はなく町の森林組合で働かせもらっております。風呂も薪風呂で檜の玉等もらって薪にさせてもらっています。皆さん山が身近で山とうまく住んでいるので生活に無駄がなく、旬な野菜を食べ昼は鍬をおろし身体を動かしているので元気な人がいっぱいいます。自分も見習い成長できたらよいと思います。(塩江町在住)
「なにしょんな」第 25 号 2012年11月
熊野 弘文
10月14日(日)~16日(火)の2泊3日のふるさと会塩江紀行に参加し楽しい時を過ごしてきました。高松空港より塩江に向かう間少し雨に降られましたがセカンドステージ到着時には青空に、旅の最後まで素晴らしい天気に恵まれました。初日、西谷八幡神社の古式豊かな祭礼を見、50年振りに二匹の獅子舞には感動させられました。参加者の方は何十年振りか地元方と再会を楽しまれた方々がおられました。夜、地元塩江の人達との懇談会には19名の参加者全員と親しく話が盛り上がりました。引き続き和泉幸弘先生による塩江を舞台にした歌謡曲5曲の指導を受け最後は全員で“塩江しぐれ”を合唱して2時間のレッスン終了。二日目松茸狩りに山に入り全員一生懸命探しましたが、一本も見つからず、一部の人達から諦めの声が出、今年はダメだともう帰ろうとしたところ、山の下の方から“あったぞ”と言う大きな声、全員その松茸に群がりました。再度周辺を探し始めると、“こっちにも”“あっちにも”での約一時間での松茸狩りの収穫でした。来年の松茸狩りは大変楽しみです。午後はふるさとの歴史探し、甲斐の股城・内場城・岩部城・音川城・関城を五か所の城跡があり驚きました。藤島先生塚寺小屋「文正塾」・焼堂の二十四輩さん忠魂碑・山田蔵人高清の墓・松平頼重岩部別荘跡・関の関所跡等、塩江に生まれながら知らない事が多すぎてびっくりでした。塩江鉄道が仏生山~塩江間16.1kmのガソリンカーとして昭和4年~16年の間を走り塩江温泉(四国の宝塚と言われた)の繁栄を支えた跡地(橋梁・トンネル・駅ホーム跡・レール敷地跡)の探索は素晴らしかった。3日目、坂出五色台の景色・根来寺・白峰寺・栗林公園・平家物語記念館の見学と和三盆作り・栗林公園の菊月亭(昼食とお茶)の体験等、素晴らしい知られていない故郷をまだまだ皆さんお知らせしたい事が沢山ありますが次の機会にさせて頂きます。(塩江小田出身 都内大田区羽田在住)
赤松 圭三
はじめて参加した2泊3日の塩江紀行は、爽やかな好天に恵まれ、また沢山の楽しいイベントが組まれ、ふるさとの秋をたっぷり味わえました。同行の方は初めての人も多かったのですが、話の中で、地縁・血縁・学縁等におよぶと、どこかで何かと繋がりあり親近感を覚えました。「ふるさと」との持つ偉大な力と包容力を改めて認識致しました。第1日目の「塩江踊り」は早井幸子様他のご婦人による歓迎の踊りが披露されました。中でも「一合撒いた・・・」は覚えて帰りなさいと、繰り返し稽古してくれました。60年前の真夏の盆踊りを懐かしく想い出しました。夜の部は、和泉幸弘様による温泉情緒豊かな「塩江しぐれ」「合歓の湯の町」等自作の曲をたっぷり聞かせていただき、又ステージでは個人指導もあり賑やかな一夜でした。2日目は松茸・椎茸・栗狩りと後藤安宏様の案内で秋の山の幸を満喫しました。松茸は奇跡的に3本見つけ、ご飯と吸い物の昼食となりました。午後は藤澤保様が上西・塩江・安原に点在する遺跡・歴史探しの案内をして下さいました。資料は13ページにも及ぶ手製で良い記念になりました。3日目は栗林公園の見学(ボランティアの案内説明で)と菊月亭(南湖湖畔)でお茶会があり昼食の懐石膳に餡ころ餅の雑煮が出てびっくり。懐かし味わいました。さぬき名産和讃盆作りに挑戦しお土産に持ち帰りました。この度の楽しかった旅行を支えて下さった宿泊先のセカンドステージ薮内様、ペンションとまとの赤松様をはじめ地元の方々の温かいおもてなしにお礼を申し上げます。又この塩江紀行を企画、素晴らしい思い出をプロデュースして下さった池田会長に感謝申し上げます。又帰りたい塩江でした。(塩江岩部出身 栃木県下野市在住)
早井(旧姓 中条)幸子
ふるさと会の皆さま、先日は楽しい時間をご一緒させて頂きありがとうございました。服の上から着付けたのに、塩江踊りの衣装が皆さんとても良くお似合いでした。踊りも、もうバッチリですね(一合まいただけは)あとは「合歓の湯の町」と「塩江小唄」の2曲を加えて、塩江踊り三部作となっております。今年は町民運動会で塩江中学校生や先生方と一緒に総踊りで踊りました。上原校長先生も飛び入りで踊って下さいました。続けて踊るとハードですが、休み休み踊ると楽しいし、お腹はひっこみ、姿勢も良くなり美容体操&健康体操にぴったりです。そのせいで私たち塩江踊りの踊り子さん達は、全員で約30人いますが、別嬪さん揃い(お歳の割には)です。常に活動しているのは半数くらいです。どうか皆さんも会う人毎に、特に塩江在住の人に、「塩江踊りはええでェ、ちょうどええ運動になるし、おもっしょいんじゃわ」と宣伝して下さい。そして日本中に、世界中に発信して下さい。発信といえば、今、「しおのえ5・7・5」というのを11月1日に発表します。今年初めての試みですが全国から395句の応募がありました。他に塩江町内の小中学生の句が176句あります。全作品が藤澤保氏の「塩江つれづれ」に掲載されますので読んで、感想をお知らせ下さい。これからもどうぞよろしくお願いします。(塩江安原在住)
和泉 幸弘
ふるさと会の塩江旅行では「塩江の歌」のコーナーを担当させていただき有難うございました。「塩江の歌」は現在地元塩江では、「合歓の湯の町」と「塩江小唄」の2曲があり踊りに使われているくらいであまり聴かれていません。このままでは昔の「塩江の歌」は音源が失われてしまうのではと不安になり、この1年「塩江の歌」の音源を確保し保存することと、新しい「塩江の歌」の3曲目を作ることに取り組んでまいりました。香川の偉大な作曲家大川かづゆき先生をさがして自分の思いを伝え、沢山のCDとテープを頂戴しました。先生は「塩江で私の作品がふたたび聴いてもらえるようになりますね」とお喜びになりました。同級生で数曲テープに録音し保管している人がいたのでこれら曲を加えて「塩江の歌」を再編集し、塩江コミニューティセンターに保管をお願いしました。新しい「塩江の歌」の制作では自分で作曲(採譜は依頼)をしたいと考え少々難曲になってしまいましたが秋~冬の塩江をテーマにした「塩江しぐれ」を作りました。インターネットのユーチューブでご視聴下されば幸いです。今回の「塩江の歌」のコーナーでは会員の皆様に一緒に歌っていただき大変有意義な時間を過ごさせていただきました(但しカラオケの先生では落第でしたが)。歌を通して緑豊かな我がふるさと塩江が一生心の中に行き続けると信じ活動を続けていきたいと思いますので今後共宜しくお願い致します。(塩江出身 市内一宮町在住)
藤澤 保
ふるさと会の皆様『塩江紀行』お疲れ様でした。「ふるさとの歴史探し」はいかがでしたか。塩江には温泉を始め旧跡・遺跡・ガソリンカーの遺構そして歴史人物と、素晴らしい誇れるものがいっぱいあります。山田蔵人の退治した根来寺の「牛鬼」見られましたか。もう一人の弓の名人「別所八郎」について簡単に紹介しておきます。上西に「貝の股」と言う地名があります。その昔、この地の良質の樫の木を買い付けに来る、又一郎という男がいた。樫は船の櫂(かい)に用いるためです。それで櫂の又さん、そこから「貝の股」という地名になったという伝説があります。が、私は次の説ではないかと思います。天正三年五月、武田信玄の子勝頼が長篠の戦いで敗れた後、家臣の朝比奈五郎が次男伊豆八郎とともに内場城主藤沢新太夫重弘を頼り讃岐に来た。その後、甲斐の股城城主となったが、のちに内場城に移り住み藤沢八郎と称した。その後、禄を失い、別子に移り住み「別所八郎」と称して、田猟を業としたそうです。この甲斐の股城から転じて「貝の股」となったのではないでしょうか。さて、別所八郎ですが、安原の百々淵に大蛇が住んでおり、人間や家畜を襲っていた。別所八郎が大蛇退治に来たが、大蛇は頭に鐘をかぶっており矢がたたない。矢はもう尽きたと思った大蛇は鐘を脱いだ。八郎はその時ただ一筋残していた最後の矢で大蛇を射ることができた。八郎はこの鐘を国分寺に奉納した。讃岐随一と言うこの鐘は今も昔と変わらぬ美しい音色を讃岐平野に響かせている。そして別所八郎の墓碑は別所に静かに祀られている。(塩江出身 市内香川町在住)
「なにしょんな」第 24 号 2012年5月
塩江中学校創立50 周年記念実行委員会委員長 高松市議会議員 佐藤 好邦
香東川のせせらぎと、桜に囲まれた自然美豊かな大地に雄大に建つ母校。昨年10 月23 日(日)大安吉日 故郷塩江から多くの心豊かな人材を輩出した塩江中学校の創立50 周年記念式典を、多くの皆様方のご協力により盛大に開催することができました。 思い起せば、第1 期生の卒業生の方は今や当年65歳になられております。私の在校時(昭和42 年卒業)には約500 名ほどの生徒数を数えていましたが、現在は60 名程に減少し、空き教室が多くなってきている現状であります。しかしながら、塩江ならではの心豊かな教育が50 年間通して育まれ、郷土愛に満ちた尊敬される卒業生を送り出し、社会から大きく評価されているのも事実であります。今、平成27年春開校を目指して統合小学校が中学校も含めて現在の地に新しく建て替わるため、工事が始まっております。国産材の活用とか、地熱を利用した床暖房やホタルの生息できる水路など塩江の特色を活かすための配慮が計画されています。さて、式典当日は第1 期の卒業生であられるふるさと会・池田会長さんのご配慮により、多大なるお力添えを賜り、式典に相応しい大きな花を咲かせていただきました。母校をそして故郷を想うお気持ちに、甚大なる敬意を表する次第であります。最後になりましたが、池田会長さんを初めふるさと会の皆様のご多幸と貴会の更なるご発展を心よりご祈念申し上げます。合 掌
高松市立塩江中学校 校長上原 公子
10 月23 日(日)、50 周年記念式典を無事終えることができましたことは、塩江中学校卒業第一期生記念事業実行委員会、高松・塩江ふるさと会の皆様をはじめ、多くの方々のご支援とご尽力によるものです。また、記念のモニュメント、枝垂れ桜、木斛、山茶花をいただき、誠にありがとうございました。さて、今春卒業した第51 期生を含めて卒業者総数が、3890 名となりました。多くのすばらしい若者を輩出できたことは、誠に喜ばしく塩江地区の皆様の力と絆によるものと思います。五十年の歴史と数々の輝かしい功績を受け継ぎ、活力ある魅力あふれる学校づくりに取り組む決意を新たにいたしました。ふるさと塩江を慕い、愛おしく思う生徒たちの「心のふるさと、塩江中学校」を大切に守っていく覚悟です。今後とも本校の発展のためにお力添えをいただきますよう、お願い申し上げます。「ふるさと会」の皆様方が、「なにしょんな」と訪ねてくださることをお待ち申しております。校庭の桜のつぼみも頬を薄桃色に染め始めております。
創立50 周年1 期生 実行委員長・塩江世話人小笠原 勝範
山々のみどりがけむるようなこのごろ、塩江は、自転車に乗って会いに行こう。内場池コース、大滝山コスで四季折々の味覚と名湯を楽しむことができます。さて平成23 年10 月23 日に行われました塩江中学校創立50 周年記念式では、佐藤市会議員はじめ地元の3 地区の有志の方々のご協力により、無事に行うことができました。式典実行委員長式辞から始まって第1 期生とふるさと会からの記念植樹目録贈呈。塩江の知られざる文化についての津森先生の記念講演。歴史と美しい自然に満ちたふるさと塩江を改めて知ることができました。そして午後からは、場所をセカンドステージにかえての昼食会。蓮井孝雄さんの司会でスタートしました。先ず演歌の和泉幸弘さん歌うにつれよく透き通った高音がさえわたりました。塩江出身のシャンソン歌手高久湯由紀子さん。うっとりする素晴らしいステージありがとうございました。2 次会では久しぶりに再会した同級生が昔に戻りワイワイガヤガヤ楽しそうでした。ふるさと会の皆様はじめ同窓生の皆様のご支援協力ありがとうございました。又の機会にお会いできるのを楽しみにしています。(市内塩江住)
実行委員安原世話人後藤 安宏
昨年10 月塩江中学校体育館で開催された節目の式典に、卒業生の一人として参加させていただききました。これはふるさと会の池田会長が統合中学での卒業ではないが、「第一期塩江中学校卒業生として参加をしよう」の呼びかけで多くの卒業生が、忙しい中遠路からも参加していいただき大変良い機会であったと感謝しております。行事の様子や卒業生名簿の整理、参加できなかった同級生の近況報告等をまとめた記念冊子も発行していただき配布いたしましたが、これに対してのお礼の言葉も多く世話人の一人として嬉しく思っております。50 年以上の歳月と歴史を刻んだ今でも安原中学校に至っては、校門、校舎などが当時とほとんど変わらない佇まいで残っておりその時を想い偲ぶことが今でも出来ます。また、内場ダムの湖畔に佇むホテルに移った午後の部では、塩江出身のシャンソン歌手高久(旧姓別所)由紀子さんのステージがあり静かな湖畔に歌声が響き、心に歓びと感動を感じながら生歌を聞かせていただきました。再会での歓びや、歩んだ人生の事、家族や、孫の事、懐かしい思いで話等など、有意義な楽しい時間を過すことが出来ました。先人が築かれた良き時代の文化や風習が失われつつある今、それらが少しでも後世に引き継がれるように、これからも価値観を共有できる人たちと共に有意義な毎日が過ごせたらと願っております。(市内安原中徳住)
実行委員安原世話人楠 明子
塩江中学校創立50 周年記念式典の日(平成23 年10 月23 日)式次第のしおりの中に現在3 年生の女子学生の言葉がオリーブの小枝が印刷された落ちついた一筆書きに添えられていました。私たち第1 期卒業生として、時にはすざましいスピードで、時にはゆるやかなに時間を過ぎ去り、こうして平成23 年を迎え式典に参加できたことに感無量。校歌の流れに乗り、セピア色した50 年前中学生の頃がだんだん鮮明によみがえるのでした。未来への不安そして進学のこと、しおりの彼女はどんな思いで学生生活を過ごしているのだろうか?現在塩江中学校の生徒数も減り数年後は町内3小学校を1に統合し、中学校の敷地に新しく小学校が建てられる高松市の計画です。その為に中学校の運動場は工事中。なんとその地中から室町時代の遺跡が現れ皆びっくりです。その説明会が4 月末にあります。岩部の土地に住んだ人々、そして岩部氏ゆくえなど・・。なんだか時代の大きなうねりを感じているこの頃です。(市内安原高畑住)
実行委員上西世話人光本 信一
心配事の多い予感する年明けでした。年始から日本列島に冬将軍が居座り記録的大豪雪に見舞われ、そして3 月11 日誰もが経験したことがない、未曽有の東日本大震災、地震、津波、原発の事故は、世界の人々を震わせ深く沈痛な悲しみを共有しました。初夏の5 月早々1 号台風から影響あり、大型台風12、15、16 号が上陸、四国を縦断し紀伊半島に上陸、湿った空気を大量に送り込み各地で1000 ミリを超える大雨。特に11 月21 日奈良県の上北山では,1808,5 ミリの豪雨となり五條市では大土砂災害が発生し土砂による堰止湖など多くの被害がでました。年を通し自然災害の脅威怖さを改めて認識させられました。多くの苦難の中、内からがんばろう日本、外からがんばれ日本へのエールは委縮ムードを一変し各地で元気の出るイベントが再開、明るく元気な日々の生活が帰ってきました。昭和21 年生まれが物資の無い貧しい生活の中、少しの物を譲りあい励ましあい助けあい、ただひたすらに頑張り自らの成長と世の発展に一丸となり高度成長を成し遂げました。気が付けば初老のこの歳に塩江中学校創立50 周年となり、塩江中学校第1 期生として創立50周年記念事業に参加、人生の節目を級友と祝賀ができ、限りある余生に新たな親交の絆を確認できたことは何よりの喜びです。この事業を提案して戴きました同級生で高松・塩江ふるさと会の池田会長には、東京から度々故郷の塩江にお越し戴きこの件につき協議を重ね上西、塩江、安原教場(旧中学校)の連絡窓口の事務局を設け世話人として準備を行ってまいりました。平成23 年10 月23 日(日)多くの関係者列席のもと、塩江中学校50 周年記念式典が盛大に挙行され無事に終えることができました。短い時間でしたが、級友の再会と多くの方々と知り合えた事は塩江中学校第1 期生だからこその思いで一杯です。遠方からのご足労に心から感謝申し上げます。何時の日か又の再会を楽しみに皆様方のご健康を何よりも願っております。次の目標は100 周年記念に向かって115 歳です。(市内上西住)
実行委員上西世話人藤岡 俊博
陽春の候 古里を離れ50 年の月日に流れと共に学び遊んだ3 年間が、昨日にように思い出されます。このたび高松・塩江ふるさと会池田会長をはじめ多くの関係者の皆様にご尽力いただき塩江中学校創立50 周年の記念式典に催しに、第1 期生の一員として参加させていただき、久しぶりに再会できることができ本当に有難たく思っております。高松大学生涯センター津田先生のふるさと「塩江の知られざる文化」の講演をいただき、生まれ育った私でも知らないことがあり改めて望郷がつのるひと時でした。午後のセカンドステージでの記念式典では、内場池周辺の自然豊かな景色にふさわしいふるさとの歌、和泉幸弘さんの昔懐かしい歌声と日頃あまり聞けない高久由紀子さんのシャンソンに魅了楽しいひと時を過ごすことができ感激いたしました。お二人の益々のご活躍を期待いたします。懇親会では50 年を期に私達同級生の絆をより強く持って、これからの人生を意義深く明るい未来であり続けいたいと願っております。ふるさと会会員の皆様のご健勝とご多幸を心から祈念して御礼をさせていただきます。(綾歌郡綾川町住)
和泉 幸弘
高松・塩江ふるさと会会員の皆様お変わりございませんか。昨年はふるさと会創立20 周年総会と塩江中学校創立50 周年記念行事に参加させて頂き有難うございました。私はこれまで自分に馴染みの土地の歌を取集するのが好きでレコードを集めてまいりましたが、故郷「塩江の歌」について今のうちに保存しておかなければ音源が失われてしまうのではないかと危惧を感じております。香川の作曲家「大川かづゆき先生の作品」高松市役所塩江支所長の尾形様の情報及び塩江町文化協会の早井様のお世話で初版時の音源と違っているものの4 曲CDに収録することができましたが、「塩江小唄」は音源喪失のためカセットテープからの収録になりました。残念な事は「合歓の湯の町」(約50 年前、塩江町内各家に配布されたソノシイートの歌手は川崎妙子さん)の初版時の音源が無かったことです。私が曲を選びCD1枚分別途収録しました。「塩江の歌」が編集できれば会員の皆様に聴いていただくことを希望します。現在機会があれば、自作曲「塩江慕情」「湯の町・塩江・初恋の町」を唄わさせてもらい塩江のイメージアップを図ろうと努めています。高松・塩江ふるさと会員の皆様のご活躍をお祈りしています。今後とも宜しくお願いします。(市内一宮町住)
藤澤 保
ふるさとしおのえを離れて40年になります。塩江ことが気になりながらも、仕事と月日が流れでいつのまにか定年を迎える歳になってしまいました。自由時間が増え、やっとわがふるさと塩江のことを考えことができるようになりました。
塩江のために何かできることはないだろうか。何をしたらいいだろうか。友人に相談したところ「ブログに書いてみたら」と教えられ、これなら私にもできる。これを始めてみようと昨年8 月から塩江通いが始りました。新しい発見ばかり、知らないことばかり、わからないことばかり、あまりにも知らなかった自分が恥ずかしく思いました。図書館へ行って調べたり、地元の方に聞いたり、塩江温泉観光協会にも聞きにいきました。塩江にはすばらしい資源、特産品、ガソリンカーの遺構など魅力がいっぱい。こんなすばらしい塩江が、わがふるさとであるということがほんとうにうれしく誇りです。ますます塩江が好きになってきます。少しでも塩江のことを知ってほしいと、私のライフワークとして塩江オンリーで書き続けていこうと思っています。塩江の里山ハイキングにも参加して山登りもしています。岳の会代表の楠さんがガイドされ、塩江のことをいろいろ詳しく話をしてくださいます。知らないことばかり教えていただき、すごく勉強になります。それからなにかボランティアをと思っていましたら塩江温泉観光協会で「マイスター」の募集があり、さっそく登録させていただきました。4 月8 日の“塩江さくらまつり”でお手伝いすることができました。たくさんのお客さんに来ていただき忙しかったけれど充実した一日でした。そして昨年友人の和泉幸弘さんが塩江を舞台にした歌を発表し、そこで『高松・塩江ふるさと会』会長にお会いすることができました。機関誌「かたかたどうし」を読ませていただき、20 年にもわたってふるさとしおのえについて事業活動されてきたことに感動しました。ますます過疎化の進んでいる塩江、町外でたくさんの方々が頑張っておられるんですね。私も微力ですがなにか塩江のために役にたてる一員になれたらと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。(市内浅野町住)
「なにしょんな」第 23 号 2011年11月
塩江支所長 尾形 進
ふるさと塩江は、秋が深まり、朝夕は少し寒くなりました。近くの神社では境内がまっ黄になるほど銀杏の実が落ちています。今年は、楽しみにしていました「ふるさと会総会」と、「創立20 周年記念旅行」に参加させていただきました。塩江から総会には、9 人が、そのうち北海道旅行には、6 人が参加しました。別海町に着いて、エビ祭り、懇親会と、水沼町長さんをはじめ、たくさんの皆様に大歓迎いただき、感激いたしました。私は、別海町訪問は3 度目ですが、今回は、塩江町時代に友好都市交流の関係で、個人的に親しい友のお宅に訪問したり、会食をしたり、思い出に残る旅となりました。このような記念すべき旅の計画から準備、当日までお世話いただきました東京・別海ふるさと会、高松・塩江ふるさと会の幹事様はじめ役員の皆様に心からお礼を申しあげます。本当にありがとうございました。
塩江町藤澤 一代
朝夕の冷え込みが、日一日と塩江に秋の訪れを感じさせてくれる季節になりましたが、皆様如何お過ごしでしょうか。去る6 月25 日、東京総会に塩江町より9 名参加させていただきました。平成23 ・24 年度の事業計画の一 つに「ふるさとのマツタケ山を復活させようと いう」松茸山再生事業があります。今年6 月から池田会長・地元住民と本格的に山を手入れされて、10 月中旬には早くも数本の収穫があったと地元の新聞に嬉しい話題が記載されていました。また、6 月26 日~28 には北海道(道東):別海訪問の旅への参加。塩江町有志・東京別海ふるさと会との合同旅行でした。尾岱沼エビ祭りや打瀬船、知床からすぐそこに見える国後島、過酷な網走監獄、サプライズだった神の湖摩周湖。美味しいエビ・ホタテ・乳製品をいただき、悠々とした大自然に迎えられ創立20 周年記念行事の旅行に参加できました。3 月11 日未曾有の大災害が東日本を襲いました。生きるとは何なのか、豊さや幸せって何だろうと、日本人全てが向き合う時代だと思います。今、私達は塩江という宝物である「ふるさと」を大切に守っていく役割があります。その為にも皆様やこれから出会う人々との『絆』を深め、目標や仲間を持ち、次世代の為に少しでも役に立てればと願っております。今回の旅行を結婚25 周年記念にプレゼントしてくれた主人とふるさと会で知り合えた皆様のご縁に感謝致します。(塩江観光協会会長妻)
ふるさと会員古井 光枝
その節は大変お世話になり有難うございました。去る6月26 日から29 日まであっと言う間の楽しい旅でした。私にとつて北海道の旅は2 回目ですが、中標津空港へは初めて到着後、尾岱沼での「エビ祭り」見学。大魚屋で新鮮な大きなホタテや北海道のシマエビの試食に大感激!北海道に来たんだなーと実感しました!とても美味しかった!27 日 羅臼町を通り知床峠をバスで回りましした。途中雄大な羅臼岳を背景に記念撮影。風が心地よく澄みきった空気に心が洗われました。その後網走刑務所を見学し美幌峠を通り摩周湖の景観にうっとり遠くからではありますが。2 日目は民宿「みさき」に宿泊。家庭的な暖かいもてなしに身も心もゆったりくつろげました。美味しいものを沢山頂きゆっくり風呂につかりました。女将さん本当に有難うございました。28 日トドワラを散策しハマナスの花が素敵でした。帰りは町営の観光船に乗せて頂きました。又別海乳業公社の見学、美味しいアイスクリームを試食、日本各地の牛乳パックが壁一面に飾ってあり驚きました。設備の整った工場で乳製品が出来るまでの行程を見学。大規模なオートメイション、町の中の産業として大きな役割を果たしていることに素晴らしく思いました。29 日 印象に残っているのは何と言っても「開陽台」でのながめ。360 度の大パノラマに本当に地球は丸いと実感しました。纏めとして今回の3 泊4 日の東京・別海ふるさと会と高松・塩江ふるさと会と地元塩江町の方々との合同の旅、内容がとても盛り沢山で1 年分の旅行をさせてもらったような気分でした。天候にも人にも恵まれ会長さんを始め両幹事さん、皆さんの暖かい人柄に触れ一生の思い出となりました。行く先でお世話なった方々に本当に有難うございました。(千葉県在住 塩江町安原出身)
ふるさと会員大西 昭宏
東日本大震災の後、あの殺伐とした‘異次元’の光景の中で、人々は「絆」の重みを確認しあい、そして犠牲者への鎮魂と、なくなってしまった故郷の復旧、復興にむけて、願いを込めて「唱歌・ふるさと」を口ずさんだことでしょう。18 歳で塩江を出てから48 年、今年ほど我が「ふるさと」を意識したことはありません。私の育った家は、岩部の八幡様の真下にあります。八幡様の境内には、樹齢600 有余年、雄・雌の二本の大銀杏(県の天然記念物)が、あたりを睥睨してそびえています。春秋の「お祭り」は、かつては宵祭りを含めて、多くの露商が店を拡げ、茶碗や小鉢を商う物売りの威勢のよい口上につい足を止め、村内各地域の神輿や、遠来の五段獅子の競演が、大勢の人々の興奮と笑顔を誘っていました。塩江中学で、野球に夢中の頃は八幡様の石段を、足腰強化のため駆け上がるのを日課とし、ストライクゾーンに見合う石垣を相手に投球練習を重ねたのもこのころでした。銀杏の木は、春には早々と若葉を出し、夏には青々と繁った木陰で、近所の人々が涼をとりながらの団らんする、場所と時を提供し、秋には‘ぎんなん’がたわわに実り(境内はもちろん、我家の庭・前の道などところかまわず落ちて、その匂いには大いに閉口しましたが)出来秋の喜びをいっぱい与えてくれました。冬の景色も秀逸で、余分なものを捨てて、冬空に‘すっきり’と立つ姿が好きでした。台風の時期には、風で折れた銀杏の枝が屋根を突破り居室に顔を出したこともあったし、二階の部屋からは、安産祈願の女性であろうか、お参りの後に、雌の木の乳のように大きく垂れ下がったところに‘糸’を結ぶ光景が良く見られて、生まれてくる子への母の愛を感じたものでした。実家の兄によれば、このごろのお祭りは往時の賑わいとは程遠いらしい、さびしいことです。そしてこの時期、毎日箒を片手に、境内の掃き掃除に‘おおわらわ’だった母も ‘いまはもういない’私の成長を見守ってくれた、八幡様の大銀杏の木は今年も頑張ってたくさんの実をつけたことでしょう。「山は青き・ふるさと」・「水は清き・ふるさと」今、語るべき「ふるさと」があることに感謝しています。平成23 年秋に。(柏市在住 塩江町岩部出身)
「なにしょんな」第 22 号 2011年4月
ふるさと会会員池田克彦
ツリーハウス・松茸山再生・塩江新米コシヒカリ普及(今年1200kg依頼)などふるさとの町興しの一助を皆で始めた。その中で松茸山の再生取り組みをご紹介。4月1日、12月続いて会メンバー3人と地元松茸山に興味を持つ仲間2人(後藤安宏さん・稲田末広さん)と京都駅で待ち合わせ、京都山科区にある岩倉村松地区を訪ねた。まつたけ十字軍・まつたけ山復活させ隊の活動拠点である。山が3つあり、それぞれボランタリーで松茸再生の為、リーダーである吉村文彦氏(生態学・京大農学博士)の指導のもと、30数名が山の地肌を掻き木を伐採し光と風を取り入れ作業をしている山に案内で出かける。松茸が出るのはいつ頃になりますかと尋ねたら、早くて5年先か20年先の孫の時代だな。こともなげに返事が返って来た。試しに地肌掻きを30分ぐらいやってみた。落ち葉が堆積し中は腐食して根が張って簡単に剥げない。途端重労働になって汗が出てきた。5人は夫々慣れぬ体験して松茸山再生がそう簡 単ではないことを感じ取った。山から本部場所に戻り近隣の畑作や小屋の修理や新しい工作場作りをボランタリーの人たちが従事している。各人自由に従事しているが、統制がとれて雰囲気が素晴らしい。吉村文彦氏との面談、松茸山も夫々表情個性があるらしく再生させる為には、山の状況特性があるのでそれを把握して処方箋を決めるとの事であつた。塩江の山を診断戴き管理・手入れのやり方を教えいただく事で塩江町に同氏を5月お招きすることになった。ふるさとの松茸山を再生することはチョットした町お越しになるのではないかとひそかな期待がある。特に地元の人と連携し山を管理して貰えることは有難い。関東から関西から塩江に足を向けていただければそれでいい。この事業はふるさと会が後援し地元の仲間と私の会社が主体になればと思っている。関西から関東から無料会員を募りこの秋に収穫が得られ、遥か忘れてしまった昔の松茸の香りに接しできればと虫のいいことを考えている。東日本の被災を思えば幸せである。(相模原市緑区在住)
後藤安宏
先般、池田会長から「ふるさ
とで何か夢のあることを行い
たい」中学生の頃いたる所でま
つたけがとれていた塩江で「まつたけ山の再生を
したい」とのお話があり、京都で再生中の松林を
4月初めに現地を訪れ見学させていただきました。
① 参加者の皆様②まつたけ研究者の一人者
吉村文彦先生(左から3人目)と参加者の皆様
③ 松林再生に取り組まれている皆様から現場で
のご指導をいただきました。(再生体験)
塩江に戻り、安原、塩
江、上西地区の赤松林
を調べてみましたが残
念ながら国道193号
から望める山には、松
の木は皆無の状態で
ありました。安原と塩江の海抜の高い所にほんの
一部と上西にはそれらの場所よりは多く樹生が見
受けられました。しかし、上西地区も古木が多く又、年々山の荒廃が目立ちその収穫も極わずかとの地
域の方のお話です。写真の様に至る所が竹、竹で
覆われ子どもの頃松がそよぎ緑豊かな自然は、残
念ながらこの安原地区のどこにも今は見ることが
出来ません。なぜ、松がこの様な壊滅的被害を受けたのか、それは松くい虫『松材線虫病』の被害、これは昭和46年頃から始まり、そのピークは56年であったとの事が報告されております。今思うと46年ころにはまつたけの収穫もかなり減少していた記憶があります。さて、まつたけ山の再生についてでございますが、ご存じのように塩江町は面積の84%が山林であり、香川県の土地や気候は松の成長に適しているとされており、これの取り組みで将来再び松がなびき、年中山も濃い緑につつまれ、秋には松茸狩りが楽しめる夢のような試みで多いに賛同出来るものです。短期間で出来るものではなく克服する問題点も多くあるものと考えますが、山を復活させる思いは池田会長と同じ気持ちであります。(高松市塩江町安原在住)
ふるさと会青年部渡邉剛至
ふるさと会青年部渡邉剛至
前回(なにしょんな第20号)、ご紹介させて頂いた「ニューツーリズム」計画からより具体的な事業として「高松・塩江ツリーハウス体験場」事業を3月19日からスタートしました。東北地方太平洋沖地震発生後の震災の中での開催ということで観光向けとしては、非常に厳しい状況ですが希望と確信を持って望む所存です。「高松・塩江ツリーハウス体験場」の事業目的に「持続可能な社会」創りがあります。森林や里山のライフサイクルを持続可能な社会として認識し、将来や次世代へ繋げることが最初の取組みとなります。高松市塩江の山林、里山文化は、まさに相応しい環境です。「持続可能な社会」の取り組むべき課題として「低炭素社会」「循環型社会」「共生社会」が挙げられます。「低炭素社会」への取組みとしては、まずは簡単にできることから始めていきます。ツリーハウス体験場内にある間伐材をエネルギー資源として活用する為、煮炊き、ドラム缶風呂の熱源等で使用し体験場内の光熱費0円生活で何処まで豊かになれるかを目指します。間伐材を薪として燃やしたらCO2を排出するじゃないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが「カーボンニュートラル」という吸収したCO2と排出したCO2で±ZEROとする考え方です。間伐材の活用は、森林整備としても良く水源涵養や生物多様性、引いては土砂災害の予防などにもつながり経済的にも効果があるとされています。「循環型社会」への取組みとしては、ツリーハウス体験場で郷土料理を中心にサービスさせて頂いてます。例えば「しっぽくうどん」を地元野菜など皆で調理してその場で食す地産地消の形態を採ることで無駄な流通経路や過剰包装などが節約できます。食育の一環としても皆で1つの料理を作り、分け合い、食することは、社会性を養います。何よりも山の中で食べる料理は、最高に美味で幸せな気分になれます。これだけでも通いたいと言ってくれるお客様がいらっしゃいました。嬉しい一言です。「共生社会」への取組みは、思想やイデオロギーの話ではなくローカルから始められる地域社会創りをここではさします。人間だけでなく生物と生活の調和をライフデザインとして基底にし、教育面では懐古主義ではなく古くから伝わる文化や言い伝えも含めて地域に根ざした「真に必要なもの」を継承し残しながら新しいテクノロジーや考えを取り入れた共生社会の構築が望まれます。この共生社会の実現が強い地域社会の競争力や発展へ繋がることになるでしょう。ツリーハウスの作り方から体験を通じて学ぶことは、森林の現状と未来に向けての在るべき姿から人間や地域がどのように持続可能な社会を形成するかのスタートとなります。一人一人のご参加や協力がいずれ大きな力になることを確信しています。追伸:宣伝ですが高松・塩江ツリーハウス体験場がテレビで紹介され、4月16日午前7:45~午前8:00の間「おはよう四国」の番組内でNHK高松放送局アナウンサー宮崎慶太君による体験レポートとして放送されました。ケイタ・ハウス(ツリーハウス)の作り方を基礎から始めて完成まで最後にオリジナルの鳥の止まり木まで作成します。未経験者でも森のツリーハウス職人?になれるかも!?何はともあれ楽しい様子がお伝えできればと思います。残念ながら放送エリアは、四国4県(香川県、徳島県、高知県、愛媛県)に限定され当日ご覧になれなかった方、ご希望の方に、番組の放送分をDVDにして無償でプレゼントいたします。送付先ご住所、ご氏名、DVD応募と明記の上お申込ください。更に番組を見て「高松・塩江ツリーハウス体験プログラム」へご参加ご希望の方には、「番組見たよ」とお申込時にお伝え頂ければ参加費20%オフにて割引させて頂きます。お仲間で、ご家族で、職場の同僚と、森林で企画を考えている方などもちろんお一人様での参加もできます。お誘い合わせの上、是非、お申込ください。森林が皆さんをお迎えします!!詳しくは、ホームページ【http://sd5.jp/ 】までよろしくお願いします。(東京都稲城市在住)
赤松利幸
私は15歳の時に父を亡くして以来、父に代わって40年余り「あきたこまち」や「ハエヌキ」、「コシヒカリ」など美味しいと評される良質米を地元の誰よりも早く取り入れた米づくりをしています。塩江は良質米が出来る好条件が揃っており、高松市内でも「塩江米は美味しい」と高い評価を得ています。塩江は①標高が高く緑が豊富で朝夕の寒暖の差が大きい。②ミネラル豊富な清流で生活排水による余分なチッソ分が入らない。③谷あいの砂質土で排水性が高いなど、美味しい米の産地で有名な新潟県魚沼に似た環境にあります。私は、このような好条件を最大限に活用するために勉強や工夫、試行錯誤を繰り返しています。私の米作りは、農薬や化学肥料を究極に押さえ、より自然で環境に優しい栽培を心がけており、稲刈りが終わると誰よりも早く田を耕します。更に1~2ヶ月毎にトラクターで何度も耕すことによりワラと土が混ざり合い、減農薬で増えた土中のバクテリアやミミズがワラのほとんどを分解し、翌年の肥料として稲の成長に活かされるのです。また、分解されるワラのおかげで肥料は極端に減らすことが出来るのです。私が作るコシヒカリの肥料は主に鶏糞で、田植え直前に10アール当たり150kg施すだけですし、温暖化による高温対策として5月末から6月初旬と通常よりも1ヶ月ほど遅い田植えをします。苗の本数も2~3本程度と通常の半分以下にしています。このことにより、茎の徒長が押さえられ、太い株に育つことから倒れにくい、しっかりとした稲になることに気がつきました。追肥も出穂40日前後に反当り20kg程度与えるだけで十分です。また昨年はヒマワリを3万本ほど休耕田に咲かせ、種を採った後トラクターですき込み、23年産「特別栽培ヒマワリ米」の肥料とするための準備を進めています。このヒマワリ米は私の研究の一環ですので生産面積は少ないですが、安心安全で究極の美味しさだと思われます。今年は特別栽培米を含めコシヒカリの栽培面積を1.4ヘクタールに増やす予定で、約6.5トンの収穫が見込まれます。また、美味しさを保つために大型の低温冷蔵庫も導入しました。首都圏や関西周辺の方々にも安心安全で美味しい「農家直送の塩江米」や「特別栽培米」を1年中、お安く提供できるものと思いますので、ご希望の方は「高松・塩江ふるさと会事務局」までお問い合わせ下さい。(高松市塩江町塩江在住)
「なにしょんな」第 21 号 2010年11月
塚本 忠之
私は丸亀市の出身ですが、環境省に在職中の最後の仕事として平成14年3月に塩江温泉を温泉法に定めた環境大臣が指定する国民保養温泉地に指定したご縁で、平成20年の高松・塩江ふるさと会の総会において名誉会員に推挙されました。池田会長とは環境省時代からのお付き合いもあり、このたびの企画に参加させていただいた次第です。小豆島の国民宿舎では環境省時代に同じ局内で課長だった町長の塩田幸雄氏と歓談する機会に恵まれ、また、塩江温泉では中井当時の町長にもお会いでき懐かしい一時を過ごすことが出来ました。直島ではベネッセハウス、地中美術館等を見学しました。芸術の良さは殆ど理解できませんでしたが、ふるさと会の企画のお陰で貴重な体験をさせていただきました。また、旅を通じて直島観光をコーディネートされた藤嶋さん、環境省ともご縁があった山本さん、偶然同じ狭山市に在住の沢田登美恵さんなど多くの人たちと親しくさせていただき、私の大きな財産にもなりました。もと、若い人達ばかりの団体旅行にも関わらずなんのトラブルもなく皆様素晴らしい人ばかりでした。3日目は皆様とお別れして、丸亀の両親の墓参りをし、丸校時代の友人にも会い本当に充実した素晴らしい旅をすることが出来ました。皆様本当に有り難うございました。(埼玉県狭山市住 高松・塩江ふるさと会名誉会員)
副会長 藤嶋 秀機
今、台風14 号が関東の南の海上を北上しています。北日本で、初雪の知らせがあったばかりなのに・・・四月の雪、寒い梅雨、記録的猛暑の夏と今年は「異常気象」ばかりでしたが・・・・・・・会員の皆様には、お元気でお過ごしでしょうか。10 月初め、瀬戸内国際芸術祭を鑑賞しながらの瀬戸の島巡り塩江でのイベント・讃岐の名所(金毘羅・善通寺・丸亀城・瀬戸大橋)めぐりの旅をしてきました。(高松・塩江ふるさと会主催)今回の旅の目的は三つ、①高松・塩江ふるさと会として、瀬戸内国際芸術祭に参加すること、②塩江地区でのイベント(ツリーハウス事業)に参加して、地元の振興に奮闘されている方々との交歓を図ること、③参加いただいた別海ふるさと会の皆さん・各地の高松塩江ふるさと会の皆さんとの親睦を深めることでありました。☆芸術祭は、船の連絡バスの手配がうまくゆかず、予定変更などが多く、不本意な結果となりました。もう少し時間をとって少人数でじっくりと鑑賞する体制(団体には不向き)を取るべきでした。しかしなが、ら高松―小豆島―直島―男木島―女木島―高松と波静かな瀬戸内海の多島海クルーズを楽しんできました。塩江では、ふるさと会青年部、渡邊さん佐藤さんの努力による、ツリーハウス建設現場見学・体験に参加し、また中井前町長・佐藤市議・尾形支所長・和泉さん・藤川牧場皆様その他お集まりの方々との懇親会を通じて、≪ふるさと塩江≫の活性化について懇談し、地元の皆さんの熱い思いにふれ、感動しました。 それにしても、波ひとつない鏡のような海に浮かぶ島々と、島影に映えた真っ赤な夕日は ―きれいだったなあ―(都内福生市内住 高松・塩江ふるさと会員)
鈴木 勝春
秋のさわやかな10月5日~8日4日間、四国高松・塩江の旅が高松塩江ふるさと会(会長池田克彦氏)の主催企画された視察、旅であった。別海ふるさと会からは13人が参加し、総勢30 人で香川県の瀬戸内の島々、塩江町のセカンドステージ等の見学、体験の旅が行われ、その旅の感想を出筆してほしいとの依頼があって、見たまま思うがままに綴る。1日目(5日)は羽田空港から高松空港へ1時間15分で到着し。循環バスで高松港へ食後、フェリーで瀬戸内の島々を眺めながら海と島々に美感を味わい、カメラと語る航上での旅人達は小豆島池田港へ着く。待つ観光バスにて手延べそうめん館を訪ね、冷やしそうめんの試食、それは美味だった。次に二十四の瞳映画村を訪れ、明治時代の尋常小学校教育の姿が映画化された実体が古きふるさとの田舎を思い浮かべる。更に明治創業マルキン醤油記念館、オリーブの栽培から製造、商品、公園等の見学を終え、小高い小豆島国民宿舎に着くと、その高地から眺める美しい日没。“瀬戸の 夕陽”は一声をあげ美景にカメラが向けられる。2日目(6日)は土庄港から高速艇で直島港へとベネッセハウスへゆく歩く。島の歩道から海の島々は美景にさそわれながら高い地の美術館には安藤忠雄先生の現代アート作品を観賞しながら、自然に溶け込む美術の表現。また直島町役場の御殿建物には驚きもあり、女文楽屋敷など見学し、再びフェリーで高松港へ塩江上西セカンドステージで宿泊し、夕食とカラオケで楽しむ二夜であった。3日目(7日)のメインはバスにてツリーハウスの体験、大滝山、最高峰にある古き大龍寺を訪れ、さらにふじかわ牧場で牛乳・アイスクリームを食味しながら、歌舞伎金丸座・金毘羅神社を歩き、夜は湯元八千代に宿泊し、食と湯の味にしたり眠る。4日目(8日)はバスにて空海の生家・善通寺を見学し、近くある古物博物館を訪れ、瀬戸大橋与島を見ながら、丸亀城を訪れ、市役所が案内人として説明を受け、城主の初代は生駒家とあって驚いたことだ。秋田県本荘市に住む私の大学時代の友人生駒重孝君が先祖の城主ではないのかの発見でもあった。これで旅も終え、高松空港から羽田へと4日間の旅は心に楽しい一時を与えてくれたことを感謝して‥。完(神奈川県横浜市内住 東京・別海ふるさと会員)
山川 桜子
三年続けて塩江訪問旅行に参加させていただきました。今年は瀬戸内海の楽園・小豆島訪問や、折よく開催中の瀬戸内国際芸術祭に、予て行きたかった金毘羅も加わり、期待いっぱいの旅でした。光あふれる小豆島。手延べそうめん館の箸分けに感心しました。二本の棒に巻きつけた三十センチほどの素麺が、あっというまに二メートルに。気候に合わせて材料の微調整が難しいとのことでした。何か懐かしい二十四の瞳映画村から醤油工場、オリーブ公園を経て国民宿舎に入りました。「日本の夕日百選の宿」というだけあって、夕日の美しさに感動しました。直島では、ベネッセミュージアムと地中美術館へ。何れも安藤忠雄氏の設計で、海と空と建物とオブジェが心地よい調和を見せています。国際芸術祭は垣間見ただけでしたが、島とアートの出会いが瀬戸内に何をもたらすのか興味津々です。お馴染の塩江セカンドステージに泊まった翌日、ツリーハウス体験場を見学しました。山林活性化の一助となるよう期待しましょう。琴平では日本最古の芝居小屋・金丸座を見学しましたが、春の歌舞伎上演時に是非訪れたいものです。盛り沢山の四日間を、皆様と楽しく過ごすことができました。(都内大田区住 東京・別海ふるさと会員)
「なにしょんな」第 20 号 2010年6月
塩江地区コミュニティ協議会
広報委員長 後藤安宏
高松・塩江ふるさと会の皆様ごめん下さい。 小生、自然に恵まれたこの地で恩恵を得ながら半世紀以上生活させていただいております。今までには人々の暮らしや生活の過程を山にもとめ、大きく依存した事でありました。特に、この地は良質で豊富な竹の産地でもありさまざまな分野に活用され、数少ない産業の一つとして栄えた一時期がありました。人々の生活が近代化になるにつれ、山にもとめていたものが少なくなり、今では趣味以外ほとんど利用がなくなっております。そこから暮らしや、生活にもとめるものがなくなった今、荒廃が進みこの地域においてもそれが問題となっています。 また、少年期香東川で遊び、夏には泳ぎここにも当時の楽しい思い出が多いこの川は、葦が生い茂り当時見かけなかった白鷺、五位鷺、川鵜等の野鳥が増加し川魚の激減で当時多く見かけた太公望の姿はいまどこにも見当たらなくなりました。安原小学校の校歌に歌われている「若鮎泳ぐ 香東の 清い流れを 見下ろして」は当時を知り、過ごしてきた我々にとって自然が失われていく姿は誠に残念でなりません。山も川も過去の豊かな自然に帰ってほしいと切望している一人であります。 最後となりましたがこの機会を与えていただき誠にありがとうございました。貴会の池田会長さんとは小、中学校の同級生でございます。今後ともよろしくお願いいたします。(高松市塩江町安原在住)
「塩江での生活」
商工会青年部
松岡 耕一朗
私が塩江に帰って来て商売を始めたのが、今からちょうど十年前でした。塩江で生まれ育ったのですが、高校を卒業して以来、あまり塩江には帰っておらず、塩江の事をほとんど知りませんでした。たまに帰って来ても、あまり興味がなかったので、周りの景色を、気にしてみることも無く、今の職場である、行基の湯や、道の駅の存在さえ気がついていなかったのです。今では、楽しんで蕎麦屋をしていますが、最初は塩江で商売をするのが、凄く不安でした。まず私は調理の経験がまったく無いと言うこと、蕎麦が嫌いなど・・・問題点が山のようにありました。でも一番の理由は塩江にうまく馴染める事ができるかどうかでした。今考えると、その不安を取り除いてくれたのが、商工会青年部でした。その商工会青年部も、幼馴染や近所の人ぐらいしか知り合いが居なかった私には、参加することさえ苦痛でした。けれども入部してみると居心地がよく、塩江の為に一生懸命に活動している先輩方や地元の人を見ていると塩江の事に興味を持てなかった自分が恥ずかしく思え、町内のイベントなどの段取り、運営、蛍の養繁殖、なども進んで参加するようになり、知らないうちに塩江が好きになっていました。自分の住んでいる町が好きになると、住んでいる人、塩江に来てくれるお客様、友達、仲間の事も好きになれ、仕事も好きになれました。今まで興味の無かった景色、建物、歴史なども最近気になりだしましたが、塩江での生活はまだ始まったばかり、先は長そうなので、ゆっくりと知っていけたらいいなぁ~と思っています。(高松市塩江町塩江在住)
光本 和代
一人暮らしの主人の母の病気を機に、塩江にUターンして十年になります。 東京で洋菓子店を営んでいましたので、時間にゆとりがなく、四国は遠い故郷であり、数回訪れただけですが愛知県の海辺の町出身の私には、山の風景が物珍しく都会にない懐かしいような自然の佇まいに魅惑されました。老後は、土いじりなどしながらゆったりと生活したいと願望していましたので少し早いかなとの思いはありますが、元気で働けるうちに移住したのは正解だったと思います。若い者ともてはやされ見知らぬ地であっても直ぐに馴染んでしまいました。「何っちゃないこんな所によく来たのう。不便だろうが。」と人々は言いましたが、私にとって塩江の自然は宝庫です。春は桜が一面に咲きほこり、山が芽を吹き萌たちます。
新緑から深い緑に変わり、秋には紅葉、内場池の水面がキラキラと輝きしばし見とれてしまいます。そして私の一番の楽しみは収穫物です。山菜や梅・桃・柿・栗・ゆずetc。山のように採ってきては干したり、漬けたり、ジャムにします。パンやお菓子にも変身します。周りにあるものは役に立つものばかり。桜・みかん・柿の葉・よもぎ・どくだみ等を加工して飲んだり食べたり化粧品も作ります。捨てる種菜・皮と全部利用します。びわの種のシロップ漬け、柿の種の炭焼きボケ防止薬?などヒット作品です。甘酒・味噌・こんにゃく作りも手がけ仕事が増えていきます。 私の塩江賛歌につられて、東京や愛知からもお客が来ますが塩江の美しい自然と温泉や私のちょっぴり怪しげなメニューも珍らしげに喜んでくれます。今後、高齢化・過疎化も進み、問題も多々できてくると思いますが、自然豊かな素晴らしい里を守るために楽しみながらがんばります。 ふるさと会の皆様にも応援よろしくお願い申し上げます。塩江帰省の折にはぜひ我が家にもお寄りください。
ふるさと会
青年部 渡邉 剛至
塩江の樹々が新緑に山と大地を輝かせる初夏の候、CB・しおのえ 高松塩江ふるさと会との意見交換へ参加させて頂きました。今回は、ふるさと会の一企画案として「ニューツーリズム」事業計画について説明させて頂きました。「ニューツーリズム」につきましては、国土交通省観光庁の施策にもありますが旅行者の「体験」「交流」ニーズに応える為に地域の資源を活用する新しい観光形態を指す総称です。旅行の個人化と共に、旅行者ニーズも“十人十色”さらには“一人十色”と言われるほど多様化し、さらには成熟化によって、旅行者はより本物を求めるようになっています。また、地域に根付いた「自然」「歴史・伝統」「産業」「生活文化」等、これまで旅行の対象として認識されなかった地域資源が新たな観光、旅行の目的となってきている中で地域の側では、地域の再生や活性化、観光を通じて取り組もうとする流れが全国で生まれています。地域に根ざし、地域ならではの資源や文化を護り育てようとする取組みや、観光により活性化しようとする取組みの中で、地域ぐるみで新しい旅行商品の創出が問われていることから最も適した歴史ある塩江の自然と文化、産物を旅行者により体感して頂く為、塩江の皆様と共に郷土に対する思いから「ふるさと会」よりニューツーリズム事業計画を説明させて頂いたしだいです。CB・しおのえの皆様も「しおのえ古民館」を通じて伝統文化の体験やイベントの事業を推進されていることからニューツーリズムに通ずるところがあると考えられます。意見交換会に参加させて頂き、都市部に住む旅行者のニーズを知るふるさと会と地域のCB・しおのえの皆様との接点をより深く広めることにより大きな発展に繋がることを確信した会合でした。塩江地域の活性化へ一助となればとの思いはより強くなり今後へ望む所存です。(東京都稲城市在住)
ふるさと会
青年部 佐藤 光伯
もう塩江の方からはぽつぽつとホタルの便りが聞かれるようになりました。そんな5月も終わりかける頃、塩江に帰省してまいりました。私は上京の為、塩江を離れて約10年になります。上京した当時は故郷に対する思い入れも薄かったのですが、年が経つことに故郷のありがたみをしみじみと感じております。また、東京にいる友人からはこんなことも言われました。「田舎があるって良いよね。」なんのことかわからなかったこの言葉も、今では少しわかってきたような気がします。そんな故郷の事をインターネットで調べて、今回、ある面影残る場所巡りをして参りました。それは、『ガソリンカー』の面影探しです。今流行りの鉄道マニアではないのですが、塩江中学校へ通う為に毎日、自転車で駆け抜けた道を違う角度で見てみました。正式には琴平電鉄塩江線といい、日本内地における、史上唯一の非電化標準軌鉄道線であったとされています。それほど貴重なものが戦争の影響で無くなってしまったことを寂しく思ってしまいます。もし、ガソリンカーが残っていたならば、昨今の鉄道ブームもあり、きっと賑やかで情緒あふれる街になっていたのではないでしょうか?しかし面影は残っており、トンネルや橋脚は今もなお、塩江の風景に一体化しています。今回は、ガソリンカーの面影を探しましたが、他にも沢山、貴重なものが眠っているはずです。次回、帰省する際はまた違ったものを探そうと思っています。以上、ガソリンカー面影巡りの回でした。
「なにしょんな」第 19 号 2009年10月
高松市塩江支所
吉廣 保夫
「ふるさと 稲刈りと琵琶灸体験ツアー」にご参加されました皆様,琵琶灸パワーで益々元気にお過ごしのことと推察いたします。また,皆様がお越しの頃は9月の初旬でしたので,山里の塩江とは言え,残暑の厳しい折でした。手作業での稲刈りはさぞ大変であったかと思います。昔の田植えや稲刈りは,機械が発達していなかたため,手作業で,隣近所や親戚の人たちが,協力し合って行っていました。腰を曲げての作業でしたので大変であったと思います。私の家では,もう四十年も前に稲作を止めてしまいましたので,その苦労は余り知らずに過ごしましたが,田植え用のジョウギはまだ納屋に眠っております。塩江地区コミュニティ協議会では,今年度から古民具の収集を行っており,町内の方から無償で提供をしていただいております。農耕用具では,牛の餌やりに使ったカイバキリや牛に引かせたウシンガ,縄を編む縄ナイキ。炊事用具では,歯釜や茶釜,家族の一人一人に有った箱膳など懐かしい民具が集まっており,現在整理をしている最中です。提供していただいた古民具は,統合で使用されなくなった旧保育所に展示し,公開する予定です。皆様も塩江に来られました折には是非お立寄りください。(香川県高松市塩江町在住)
ふるさと会 理事
沢田 登美恵
9 月 5 日~6 日 1 泊 2 日の稲刈り・びわ灸の体験ツァー、初日は稲刈りです。セカンドステージに着き昼食を済ませてバスに乗り、大分離れた場所、山の中でしたが稲穂が美しい田んぼへ移動。農家の藤沢さんが色々手順と方法を細かく説明してくれました。私は初めての事なので不安でした。どこからか、サックザックといい音が聞こえて、その主は望月さんでした。子供の頃家の手伝いをしていたそうです。刈った稲を束にその束ねるのがむずかしい。藤沢さんにお聞きしましたら、力が入らん時は稲を回すんじゃ!!と云われ、そのとおりしましたら“成功”。竹ざおに干し自然に乾かす方法、子供の頃どこかの田んぼで見ました。稲刈りからセカンドステージに戻り、今度は野菜取り、暑い日が続いた為、野菜は少々かたかった。トマトは最高においしい味でした。夕食のバーベキューも楽しく心に残る事と思います。2 日は「びわ灸」どんな事だろうと心配と不安でした。心配していた通りメチャメチヤ熱くて痛くてどうしょう。30分位たって終わった。「びわ灸」をした後、足で押しもみかな?と思っていましたが、とても楽になり足も軽く、私は坐骨神経痛ですが、驚くほど軽くなり、次の日も予約して「びわ灸」をして貰いました。望月さん達と一緒に東京へ帰ったらお灸をして貰いに行く約束をしました。私にとって「びわ灸」は強烈な体験でした。
無憂扇 豊海
代表 武藤 つや子
窓を開けると吸い込まれそうな青い空と湖、思わず飛び出して行きそうな錯覚に落ちいりました。塩江セカンドステージホテルから目にした印象です。今回、池田会長よりのお誘いをうけ、初めて四国で「びわ灸」の体験会をさせて頂きました。おきゅうと聞かれると恐がる方がいらっしゃいますが、「無憂扇きゅう」は、体験なさると必ず「気持ちが良かった」と言われます。今回、塩江へお伺いした目的は、「無憂扇きゅう」を是非、塩江町の町おこしのひとつに取り入れて頂けたらと言う想いがあったからです。「人を助けて、わが身を助かる」という信念で私達は「無憂扇きゅう」に取り組んでいます。ある時、一人の女性が不治の病になられましたが、友人二人は彼女をなんとか治したくて、必死で「びわ灸」をあてておられます。又、ある男の人は、奥様が癌になられ西洋医学にも限界を感じられて、今毎日懸命に「びわ灸」をあてておられます。どのケースも人が人を助ける行いの尊さ、素晴らしさを教えて下さいます。これ程美しい事があるでしょうか。これから日本は、世界一の長寿国となります。お年寄りの多い町で、「びわ灸」をお互いが助け合う道具として普及させて頂く事ができたならば、医療費の削減のみならず、素晴らしい人と人とのつながりができて、きっとその町は、天国となるに違いありません。私達は今、それをめざして頑張っているのです。(東京都杉並区在住)
東京・別海ふるさと会
理事 滑川 静子
今年4月に体験施設セカンドステージに2泊3日の日程で旅をし、その3ヶ月後の7月に池田会長さんから“稲刈り”体験ツアーの誘いを受けました。誘いを受けた時、即あれを買いに行こうと決心。あれと言うのは“天ぷら”です。4 月に行った時、崎川さんに勧められ買ってきた“天ぷら”がコツコツと歯ごたえがあって絶品でした。再びあの味を楽しむためツアーに参加!9 月 5 日(土)羽田空港を 9 時 45 分発の飛行機で高松へ。出迎えのバスでセカンドステージに到着しました。早速作業服に着替えて、稲刈りする田んぼへ移動。高松空港での気温は 30 度だったのですが、山脈に囲まれた“田んぼ”は爽やかな風が吹いて心地良く、これから行う初体験の稲刈りにやる気満々の気分になりました。
そして稲刈りの仕方を教わり、作業を始めてまもなく竹の皮に包まれた特大のおにぎりが3個配られました。最初見た時、3 個分食べれないと思いましたが、美味しくて自分も周囲の人も皆ペロリと平らげてしまいました。
稲刈り作業は、稲の束ね方を教わり“はぜ”に掛けて無事終了。野菜の収穫に移動しました。ミニトマト、茄子、人参、キューリ、オクラなど馴染みの野菜が沢山成っていて、いずれも育ちすぎて堅かったのですが、収穫する事に喜びを感じて沢山とってしまいました。とりあえず焼いたものの堅くて全然食べられず、準備してくれた男性軍の茶目気に笑ってしまいました。夜は琵琶の葉を使ったお灸の体験。気持ちよく眠気をもよおして、施術中に停電なった事も知らず眠ってしまいました。翌6日は“山菜おこわ”を作りました。その後藤川牧場に行って牛乳豆腐を食べ、いよいよ2泊3日の体験ツアーも終わりに近づいてきました。バスで飛行場に向かう途中スーパーマルヨシに寄って念願の“天ぷら”無事購入。帰省の途につきました。今回は友人6人で参加し、うち3人は初参加でした。全員が楽しんで貴重な体験を重ね暖かい心を感じられる旅でした。(東京都中野区在住)
ふるさと会
会員 徳島 明
今年の2月に、旧知の横浜蕎麦打ちクラブの山本氏より4月になったら、高松に行かないかと誘いを受けました。今まで、四国に行った経験がなく「讃岐うどん」「本四架橋」程度の理解しかありませんでしたので即座にOKしました。2泊3日の塩江での体験はとても楽しかったです。初めてお会いする方と楽しく飲んだり、話をする事が出来た事が何よりの収穫でした。それと、本場の「讃岐うどん」を充分に堪能でき、すっかり「讃岐うどん」の大フアンになりました。塩江に日本の原風景をみた感じです。さて4月に引き続いて9月は、2回目の塩江となりました。1週間後手術を控えていたので、大事をとって稲刈り・びわ灸に参加しませんでしたが、今回も帰路、高松空港に向かう途中で、「讃岐うどん」を食べられただけでも大満足しました。次回、何時、高松に行けるかわかりませんが、時間の許す限り又、参加して皆さん方と更にふれあいができる事を願っています。このような「塩江体験」を企画、運営いただいた方々に深く感謝する次第です。ありがとう御座いました。(神奈川県相模原市在住)
ふるさと会
会員 望月 澄子
私は9月5日~6日1泊2日の稲刈り・びわ灸ツァーに友人2人とともに参加させて頂きました。前回4月のセカンドステージモニターツァーに引き続き今回が2度目になります。私の故郷は、北海道旭川の北の農家で生まれ、学校を卒業とともに数年間自宅の農業を手伝っていました。その時に田植え、稲刈り、はさ掛け等色々経験しましたので、稲刈りと聞いてとても懐かしくなり、今回のツァーに参加させて頂きました。
塩江町は緑の多い私の田舎ととても似ている感じがしました。田んぼで山の自然の風景を見ながらの昼食のおむすびは格別でした。夜になり自分達で収穫した野菜でバーベキューおいしかつたです。その後びわ灸を申し込みましたが、お灸の経験が無いので熱かったらどうしょうかとか考えてしまい、とても不安でしたが実際に始めて頂いたら段々気持ちが良くなり眠ってしまいそうになりました。そして次の朝もお願いしてしまいました。終わった後は体が軽くなった感じがしました。山菜おこわ作りには参加できませんでしたが、昼食は美味しく頂きました。皆さんとお友達になったりしてとても楽しい2日間でした。最後になりましたが、池田会長さんを始皆様には大変お世話になり有難うございました。また機会が有りましたら是非参加させて頂きたいと思います。これから日一日と寒くなって来ますので健康に気を付けてお過ごしください。(静岡県富士市在住)
「なにしょんな」第 18 号 2009年6月
塩江温泉観光協会
会長 藤澤 英治
桜の花が満開の4月に開催された「ふるさとを感じる旅! 田舎を楽しむ旅」体験ツァーは如何でしたか。色々感じられたことがあったと思います。 塩江温泉観光協会の会長に任命され、第1期の2年が過ぎました。高松市と塩江町が合併して今年の9月で4年が経過しようとしています。会長を任され、このままの観光協会では活性は出来ずと思い、この2年間模索し考え、いろいろ経験しましたが、平成21年度より事業計画を実行に移します。塩江の観光は、「温泉と体験滞在型観光」を地域住民とともに個性ある地域観光事業に取り組む計画です。塩江には、優れた技能経験者がたくさんいます。塩江の自然環境とその人材を生かし、地域の活性と観光をマッチングできる「マイスター」を育成し、塩江に訪れる観光客に「遊びの場」・「田舎料理の場」・「体験の場」などを提供したいと考えています。塩江では現在、NPOしおのえ「セカンドステージ」と藤川牧場で体験型のプログラムを実践しています。観光協会も各事業者さんと連携をとり、長期的な展望になりますが塩江の四大イベントとともに事業推進してまいります。また、『道の駅』しおのえを核とした観光プロモーション事業も展開してまいります。話が少し難くなりましたが、「ふるさと塩江」にご支援ご協力をお願いします。
ふるさと会
理 事 藤澤 正美
去る4 月10 日~12 日にかけて都圏・関西圏より約 100 名の参加のもと、好天の中、盛大にセカンドステージモニターツァーが開催されました。私も上西出身者としてふるさを客観的に見てみようと思い今回参加させて頂きましたセカンドステージに到着した際、最初に迎えてくれたのが桜吹雪とスタッフの皆様でした。セカンドステージの部屋の窓を開けると新緑になった山々とその山々が鏡のように写しだされた内場池の光景が今でも目に焼きついています。また、周りを散歩すると鶯と小鳥の泣き声が心地よく響き渡り、このような美しく自然に恵まれたところだったことを改めて再認識することがでました。池の淵では鮒が集団を作り泳いでいるのを見て、小さい頃、よくミミズを餌に鮒釣りをして遊んだことを思い出し、ここに竿と餌があれば鮒釣りをしたい衝撃にもなりました。次に印象に残っていることは、岩部八幡宮でのお神楽でした。幼少時代2回程観賞した記憶がありますが、当時は内容も判らず、ただお祭り気分で見に行ったような気がします。今回、改めて見てお神楽の素晴らしさを拝見することができました。時間に余裕があれば、最後まで観賞したかった方々は私だけではなかったのではないでしょうか?
この伝統をふるさとの方々が大事に守り、定例的に行っているとお聴きし感服いたしました。ふるさとを出た者がと、お叱りを受けるかも知れませんが、今後も是非次世代に引継ぎ、残して欲しい伝統のひとつと感じました。最後になりましたが、ふるさと会で有名になりました迷案内人の喜多理事を始めとしてスタッフの皆様には大変お世話になりました。紙面をお借りして厚く御礼申し上げます。今後帰省する機会がありましたら、家内と共に宿泊させて頂き、内場池一周をのんびりと散策したいと思っています。
会員 岡本(旧姓小笠原)幸江
ふるさと会の会員になって日も未だ浅い時に、関西~セカンドステージ間のバス移動中、参加された皆さんのお世話をいきなり任せられ、ふるさとを訪問するとは思いもしませんでした。ふるさとは遠きにありて想うものとばかりで、これまで正直良い思い出はなく、関心もありませんでした。1昨年植樹祭の時も何の思いもなく漠然と参加した1人でしたが、この度のセカンドステージモニターツァーは、ふるさとを応援する気持ちで関西から同級生と参加しました。関東から合わせ約100名の方が参加され驚きともに熱気に感激を致しました。セカンドステージは、私のふるさとである上西焼堂の近く内場池湖畔にありますが、素晴らしいセカンドステージの施設は別にして、私のイメージから申せば、何もないこんな田舎に。と思いがあり、関西・関東から来られている方のお話を伺うと、自然がとても美しく、食べ物が美味しい、空が澄んでとても夜の星が綺麗だった。と賞賛の言葉に驚きました。田舎出身の私にはこれまで関心がない事であっただけに新鮮さを感じ、遠い昔の当時は、当然と思っていた風景と食べ物がこんなに喜ばれるとは。セカンドステージの従業員の皆様も一生懸命になってモニターツァー参加者のお世話されている姿に心が打たれ、遥か昔忘れていた山に桜が点在する素晴らしいふるさとの景色と、満々と水をたたえた内場池の桜に映えた湖面の美しさに田舎の良さを再発見しました。またこの間、田舎の同級生達と短い時間でしたが、セカンドステージから内場池を挟んだ向かい側のペンションとまとの近く公園の桜花の下で同窓会が開催されました。昔話に花が咲き、懐かしく時を忘れる時間を過ごす事ができ、今までのふるさとに対する想いが少し変わった感じがしました。モニターツァーの懇親会では、初めてお会いした人たちとも楽しく語らい私のふるさと・田舎のいいところを精一杯宣伝させて戴き、田舎と離れ喧騒とした都会の日々生活の中で、自然豊かで何もないふるさとに今後も帰って来たいと言う気持ちをもたらしてくれた1泊2日のセカンドステージモニターツァーでした。末になりますがこの企画をしてくれた同級生の池田ふるさと会長と役員の方及びセカンドステージの喜多代表及び薮内さんら関係者に御礼を申し上げます。決してふるさとは遠きにありて、として想わず、今後はふるさと会員の立場から応援していきたいと思います。またセカンドステージの素晴らしい施設を改めてご訪問されることをお願いいたします。皆さんどうも有り難うございました。
会員 西浦(旧姓太田)雅子
残り人生を有意義にと日々の時間を急ぎ心で過ごしていた昨今、急に故郷が恋しくなり帰郷し神戸に帰った直後ふるさと会ツァーのお知らせが有り、塩江上西の情景が鮮明に浮び、月変わり如何なる移り変わりがあるものかと楽しみにして参加致しました。天候も良くバス乗車から和んだ讃岐弁を聞きながら、明石大橋鳴門自動車道を通り馴れ親しんだ塩江街道に入り沿道の桜が季節を彩り、昼も過ぎ空腹を覚えた折、数年前このホテルに泊まりたいと思わせたセカンドステージに到着、昼食は、いきなりうどんとお稲荷さんの懐かしいふるさとの味わいをさせてくれました。ホッと一息まどろみたいところでしたが、蕎麦うち、竹細工体験に向かう。参加者がエプロンを付け蕎麦粉のこね具合、水の注し方茹がき方等面白く学びました。竹細工も覗き見ましたが皆さん上手に仕上げられ感心致しました。ふるさとの特産品で遊ぶ童心にかえった気分。ほどよい疲れを眺めの良いルームに横たわりながら、湖(ダム)も新緑の山に映え桜がボァッとあちこちに散り咲く情景を望見しつつまったくのどかな雰囲気の中で気分良くまどろみました。夕食は道路を渡り仮設建物でふるさとの山菜、魚肉を素朴に味付けされた料理に、あちこちから美味しい懐かしい味との声に和やかな笑いが起こり満足致しました。そしてカラオケに移り、飛び入りの名司会者の巧みな紹介にお酒も入り楽しく和気あいあいと大声で歌いスッキリした皆さんとも仲良く打ち解けました。そんな良き日に感謝しつつその夜は温泉に身をゆだね快い眠りにつきました。翌日は帰る日、すっきりとのどかな春の日差しを受け散策、朝食の何時になく軽く入りこむご飯を二膳いただき、あたりの風物に名残の挨拶をし、今回ご尽力をいただいたセカンドステージの関係者の方々に心から感謝の念を抱きつつバスに乗車しました。関西に帰る途中、脇町うだつの町に寄り、町並みは何度来ても見飽きない日本家屋の良さ、あんみつ館のみずみずしい蘭の花々、あんみつもことのほか美味しいかった。バス車中でまどろみながら、この4月11日(土)12日(日)のモニターツァーは良き天候に恵まれた幸せを感じつつ、ふるさとの自然の元、懐かしさとゆったりさを心身にいただいたことに有難う御座いました。最後にご多忙な立場に有りながら計画立案実行いただきました池田会長役員方々に心より御礼を申し上げます。
会員 梶野 茂
櫻咲く「ふるさと塩江」を訪れて。4 月 11、12日セカンドステージモニターツアーに兄夫婦と共に参加して、40年振りに、ふるさとの櫻を見ることができました。こうした企画では随分早くに日程を決めてしまうので、当初の狙いがはずれてしまうことが多いのですが今回は、櫻の時節に塩江を訪れるという塩江ふるさと会の事務局の思いが見事に的中し参加者一同を喜ばせてくれました。池田会長さんをはじめお世話いただいた皆さんに感謝のほかありません。セカンドステージに着く早々いただいたうどんとおいなりさんや夜のバイキングでたべた採れたて山菜のおいしさも忘れられません。昔、母親が作ってくれたなつかしい味を思い出した方も多かったのではないでしょうか。体験コーナーでは私は蕎麦うちに挑戦しましたが、文鎮づくりや竹細工作りでも皆さん楽しんでおられました。セカンドステージの施設もすばらしく、スタッフの皆さんの気取らないサービスも行き届いて気持ちの良いものでした。昨今、こうした施設の運営は厳しいものがあると思いますが、末永く繁盛されるようお祈りいたします。
ふるさとへの思い。私は上西村で生まれ育ちました。当時、村には3小学校と1中学があり、小学校単位で行われる学芸会、運動会、映画会や盆踊り、お祭りは、それはにぎわったものでした。はじめて電灯が灯り、家の前をバスが走るようになったときのうれしさを今も覚えています。高校の頃、町の友達から、お前の家の庭には狐やタヌキが住んでいるといってよくからかわれたものですが、小川のせせらぎや魚釣り、夏の蛍や秋のきのこ拾い、四季折々の美しい山々は、都会育ちには味わえないものでしょう。自分を育ててくれた両親、塩江の山と川、小中学校時代の恩師そして今でも心の支えになっている龍神社などなど、ふるさとへの思いはつのるばかりですが、今は東京の人になってしまいました。申し訳ない気持ちをいだいています。少子高齢化や都会と地方の格差の波にさらされて、ふるさと塩江もさびしい町になってきているように思い残念です。高松の中心部から近距離にある風光明媚な温泉のある町として栄え、塩江に暮らす皆さんが幸せになって欲しいと念願しております。(東京都世田谷区内住)
NPOしおのえセカンドステージ
藪内 由佳
4月10日~12日に実施されました「ふるさとしおのえ会モニターツアー」に多数のご参加をいただきありがとうございます。セカンドステージが昨年4月にグランドオープンをして以来、会長の池田様には各種方面でご協力を賜り、機会ある度にセカンドステージを広報いただいており感謝にたえません。今回のモニターツアーも池田様から「関東・関西のふるさと会会員様を通じてセカンドステージをたくさんの方に知っていただこう!」とのご提案から実施できたものです。募集期間が短かったにも関わらず、多くの皆様にご参加いただき、嬉しく思っています。「ふるさと塩江の桜の美しい時期に行きたい」というご希望から、前述の期間に行いました。関東からは2泊3日と1泊2日コース。関西からは1泊2日コースでお越しいただき、地元の講師(セカンドステージではマイスターと呼ばせていただいています)の指導のもと竹細工・石の文鎮づくり・そば打ちを体験していただきました。 マイスターの中にはふるさと会会員の皆様にゆかりのある方もいらっしゃり、再会を喜ばれる場面も見られました。体験で作った「しっぽくそば」を「懐かしい味がする」とのお声を聞き、やはり、地域の味・文化を守り、えてゆくことの大切さを感じました。塩江にはすばらしい食文化・手仕事・伝統がたくさんあります。そして、なによりも人情溢れる魅力満載の方々がいます。今、セカンドステージに滞在してくださっている神戸からの姉妹のお客様(5月から 9月まで滞在の予定です)にセカンドステージの魅力をお聞きしたところ「人と人との良い関係が嬉しいから」との言葉をいただき、これから、もっと塩江の良さをいろんな方面の様々な方にお伝えしてゆきたいと思っております。最後になりましたが、池田会長はじめ役員の方々、また、懇親会にご出席いただいた皆様、当日快くマイスターをお引き受けいただいた地域の皆様に感謝したいと思います。ふるさと会会員の皆様、塩江へお帰りになられる際は、ぜひ、お立ち寄りいただき元気なお顔を拝見できれば幸いです。
「なにしょんな」第 17 号 2008年10月
会長 池田 克彦
7月12日(土)都内銀座のサンミ高松で塩江町が合併で新高松市として、初めてのふるさと会の集い(総会・懇親会)を第7回目として60名のご参加をえて開催致しました。
衆議院の木村先生、同じく平井先生と大西市長よりご丁重なる祝電を頂戴。
塚本 元環境省 自然保護局 整備課長、西原 香川県 東京事務所長、堀 四国新聞 東京支社長、佐藤 高松市会議員、冨田 高松市経済産業部長、尾形 塩江支所長、赤松 高松市観光振興課副主幹、吉広 塩江支所係長、中井 前塩江支所長、黒川 前塩江町議長、藤澤 塩江温泉観光協会長、喜多 セカンドステージ代表、尾形 宗玲 煎茶師匠、真壁 東京・別海ふるさと会名誉会長、新家 東京・別海ふるさと会長、藤倉さん、吉田さん等のご来賓をご多忙のところご臨席戴き盛大に催しが出来えました事に厚く御礼と申し上げます。
①会則の改正(会員募集の範囲を拡大、東北圏・名古屋圏・関西圏での賛助会員募集と会員の推薦があれば会員とする。3年内目処で関西圏ふるさと会の創設)
②役員等の改選で、名誉会員に塚本忠之氏・真壁伯良氏・遠藤登氏、顧問に中井弘氏・黒川恵氏、相談役に藤沢伸明氏、会長に池田、副会長に村上・大峯・崎川・藤嶋の各氏、理事に沢田・藤澤学・矢田・藤澤正美・矢野・佐藤光伯・熊野各氏のご承認を戴きました。
また真壁氏のご尽力で、サッポロ飲料(株)、サッポロビール(株)、ビックホリディー(株)、ホテルKKR宮の下(箱根)から、航空券・ワイン・チーズ・宿泊券等ご提供を戴き有難う御座いました。
高松・塩江首都圏ふるさと会の総会にお招きいただき、心から感謝申し上げます。大変、楽しいひとときを過ごさせていただきました。塩江町は、町としての長い歴史に終止符を打ち、平成17年9月に高松市と合併いたしました。
合併により、塩江町のすばらしい自然や歴史、文化が加わり、高松市は、都市としての風格と魅力がぐんと増したように思います。
さらに、こうして塩江町出身者および塩江町の方々とのすばらしいご縁もいただきました。今後とも、よろしくお付き合いを賜りますようお願いいたします。
私もかつて、東京で生活をしていたことがありますが、初めての帰省の折、連絡船の中で食べたうどんのおいしさは、今でも忘れられません。
東京暮らしの苦労や家族のありがたさ、ふるさとのなつかしさなど、様々な思いが交じり合い、胸が一杯になったのを、ふるさと会に出席いたしまして、改めて思い出しました。
皆様方にお会いして、ふるさとに対する温かな愛情を感じ、大変心強く思いました。
また、激励のつもりが、逆に大きな元気をいただきました。
感謝申し上げます。
高松市は今、高松市に住んでいる人だけのものではないと思います。今は東京など、全国で生活されていますが、塩江町や高松市で生まれ、育った方々のものでもあります。
私たちは、皆様方からお預かりした塩江町の自然や伝統文化を大切にし、心の拠り所であるふるさとを、しっかりと守ってまいるとともに、皆様方が誇りを持って、高松の名を語ることができるよう、全力で取り組んでまいりたいと存じます。
なお、ご承知のように、このたび「ふるさと納税制度」が創設されました。
ふるさとに愛着を持ち、ふるさとのよさを守り、さらに発展することを願う皆様方の思いを「寄付金」としていただき、それを財源としてふるさとの優れた自然や伝統文化等の財産を後世まで引き継いでいくものです。
また、より住みよい魅力あふれるまちづくりを進めていくことを目的としたものです。
ふるさと納税について、皆様方のご理解とご協力をお願い申し上げます。
最後に、高松市の近況を申し上げますと、讃岐うどんが全国的に有名になっていますが、「かな泉」や「川福」など老舗のお店も頑張る中、郊外には、味に自信のあるうどん職人による新しいお店が次々にオープンし、高松市内では200を超えるうどん屋さんが、麺のコシの強さとダシの旨みを競い合っております。
うどんは極めてシンプルな食べ物でありますが、お店同士の切磋琢磨とうどん好きの高松市民の率直な口コミでの評判が、更なるおいしさを創り出している感じです。帰高された際には、ぜひ、ご賞味ください。味も、安さもご満足いただけると存じます。
高松・塩江首都圏ふるさと会の皆様方の、ますますのご健勝とご多幸を心から祈念申し上げます。
塩江支所長 尾形 進
今年の夏は、経験したことのない猛暑で、塩江でも連日35度を超える日にぐったりしていました。
7月初旬の早い梅雨明けから、水瓶の早明浦ダムに、ほとんど雨が降らず、高松は渇水対策に追われていました。
塩江は水の心配はないのですが……。
10月に入ってから、時々まとまった雨が降り、少しは緩和されているところです。また、その雨と急激な冷え込みのおかげで、塩江の山は例年にない「きのこ」の豊作となりました。
いっぽんシメジ、栗シメジ、モミタケ、いぐちん(イグチ)、じごぼ、そして、なんと言ってもマツタケ…が、たくさん採れているそうです。 私も、何年かぶりに不動の滝近くの山の中へ行ってみましたが、“松のはな”を少し採っただけでした。でも、それを入れた打ち込みうどんの秋の風味は格別です。
さて、7月には、総会にお招きをいただきましてありがとうございました。町合併前の17年6月に参加して以来三年ぶりとなりましたが、昨年の11月に「植樹と紅葉のふるさとへの旅」での東京・別海ふるさと会や高松・塩江ふるさと会皆様方との再会、また、シャンソン歌手の高久由紀子(旧姓別所)さんなどとのなつかしい話で、楽しい東京のひと時を過ごさせていただきました。
たいへん盛会裏に終えた総会開催に当たっての準備から当日まで、ご苦労いただいた池田会長様はじめ会員スタッフの皆様に心から敬意を表します。
ここで、総会の中でも話しましたことですが、再度お願いをしたいと思います。
1点は、塩江地域に特定できないのが残念なのですが、ふるさと納税による寄付を、少しからでも、ぜひ高松市に寄せていただきたいことです。
もう1 点は、NPOしおのえが運営する「セカンドステージ」利用促進に対するご協力をお願いするものです。
首都圏から個人、団体を問わず、塩江セカンドステージを利用していただけるよう口コミで周知いただければ幸いです。
最後に、皆様方の益々のご活躍とあわせて、ふるさと会の輪が首都圏からさらに広く膨らんでいくことをご期待申し上げて、ふるさと塩江からのメッセージとします。
会員 高久(旧姓別所)由紀子
私がふるさと会に出席してみようかと思うようになったきっかけは、還暦を迎えての大病でした。
今まで病気とは無縁で健康を誇りにしていた私にとって、肝癌の為3分の1の肝臓切除は正に青天のへきれきでした。
けれども立ち直りの速いと言いますか楽観的な私は、退院が近づくにつれ私の復帰を心待ちにして下さる沢山のシャンソン教室の生徒さん達、そして又、次のシャンソンコンサートへの準備に思いをめぐらせ、気持ちはとても前向きでした。
しかし心配をかけた母にまずは元気な姿を見せて安心をさせなければ・・・
と静養や墓参を兼ね塩江に帰る事にしました。
子供達はすでにそれぞれの家庭を持ち、年に3~4度は実家に帰ってはいましたので、瀬戸内海にさしかかり屋島や八栗山が見えはじめると、いつもの様に山並ぬって塩江に続く道を眺めていました。
すると突然自分でも予期しなかった涙がとどめなく流れ、そんな自分自身に驚いてしまいました。
悲しみでもなく喜びでもなく、それは幼い頃から私を育んでくれたふるさとの山や川が、病んで生まれ故郷に帰る里子を、まるで優しく迎えてくれているかの様に思えたものです。
それ以来私はふるさと会に集う事が楽しみになりました。
去る7月12日のふるさと会では、池田会長さんより是非私のシャンソンを、というお話をいただき、私の歌に静かに耳を傾けて下さる皆様と、あたたかく幸せなひと時を過ごさせていただきました。
来年4月7日には、新宿安田生命ホールにおいて第4回「私のパリ」シャンソンコンサートを予定しております。体調を整え少しでも皆様のお心に残るコンサートをしたいと思っています。
塩江は秋もたけなわ。今年も87歳になる母とキノコ狩りに行く事を楽しみしている今日この頃です。
「なにしょんな」第 16 号 2008年4月
ふるさと会理事 沢田 登美恵
昨年11月高松・塩江首都圏ふるさと会と東京・別海ふるさと会及び地元関係者等の皆様と共同で、私のふるさと塩江で植樹を行いました。有難う御座いました。
その中で枝垂れ桜5本の内1本ですが、雨上がりの朝写真を撮りました。
帰省は3泊そのうち半分は雨(春雨)でしたが、帰る日は全部見事に美しく咲いていたことを確認しました。
傍の藤川牧場で新鮮な牛乳とソフトクリームを頂き、又ペンション「とまと」のシェフのおもてなし料理は素晴らしいものでした。
心も身体もリフレッシュ楽しい日を過ごさせて頂き倖でした。
植樹記念碑も燦然と輝きご参加して頂いた皆様のお名前が刻印されて半永久的に残る事は感動的です。
今年の秋(11月)もみじ(黄金の紅葉)の鑑賞がとても楽しみです。
植樹にご参加された方及びふるさとに帰省された方も是非植樹した場所へ訪れいただければ幸甚です。
高松市塩江町 中條 定男
高松・塩江首都園ふるさと会の皆様お元気でご活躍のこととお喜び申し上げます。
「春の来ない冬はない」と言いますが、厳しかった冬もいつしか過ぎ去り、塩江にも少し遅れながら爽やかな陽春がやってきました。
過日、東京の池田君から原稿の依頼があり、昨秋植樹をした現場を何回か見に行きました。
皆さん喜んでください、枝垂れ桜は見事花を咲かせ、もみじは柔らかな若葉を枝いっぱいにつけていました。
私の拙文より「百聞は一見にしかず」です。
昨年11月11日、汗を流したふるさと会はじめ東京・別海ふるさと会及び各団体関係者の方々本当にご苦労さまでした。
また植樹以降今日までいろいろ管理していただいたであろう藤川牧場をはじめ近隣の方々ありがとうございます。
また、植樹祭の一週間後(11/18)植樹祭をした場所からほんの少し離れた上西小学校体育館で、上西校区連合自治会主催の環境シンポジウムが開催され、市観光大使でふるさと会の池田会長がパネルディスカッションのパネラ-として、ふるさとについての熱い思いを強く訴えました。
こうしたことは地元新聞でも報道され、自然環境を守る啓蒙運動に強い影響を与えていると思います。
余談ですが、私が「なにしょんな第14号(2007.4.8)」ふるさと便りで「東地のウバヒガン桜」について少し触れたところ、後日ある方から電話で問い合わせがありました。思わぬ反響に驚いた次第です。
ところで残念ながら枯れた東地のウバヒガン桜の幹は内場ダム湖畔に開設された「セカンドステージ」ロビーに展示されその勇姿を後世に伝えています。これも併せて写真でご覧下さい。
なお「セカンドステージ」は田舎暮らしが体験できる短期滞在型の宿泊施設ですので、関心のある方はぜひ問い合わせをしてはいかがでしょう。以上ふるさと塩江だよりでした。
NPOしおのえ 代表 喜多 維昭
十数年前、塩江でも最もグレードが高くキャパも大きい、塩江発展のシンボルとして期待されていたリゾートホテルが破綻して放置されていました。
施設の周囲は雑草、樹木が茂り不法投棄の捨て場となり、衰退塩江のシンボルとささやかれる程傷みがひどく、見るに耐えない状況が続いていました。
行政(町当局)も何とかしようと必死の努力をしていましたが、良い方向に行かず対応を苦慮していました。
「努力したがなんともならん、お前の所で何とかならんか」との当時の町長よりの提案があり、施設使用に向かってスタッフが検討に入りました。
以前から塩江は、自然(山と水)に恵まれているのでこれらを活用して「町作り、地域の活性化」 を図りたいと思っていましたので、リゾートホテルを加えることによりバリエーションが増え現実味が増し、やろうという事になりました。
とは言ってもサービス業の経験を持ったスタッフはなく、百姓と木こりと零細な事業主の集団なので、それぞれの得意分野が活かせる内容にしようと考えました。
時おりしも、団塊の世代が大量に輩出されるに併せて、第2の人生を選択する一つとして、田舎暮らしを満喫し、生活習慣病の予防、体質改善を図りながら、地域の活性化にもお力をお借りしたいとの事で、立ち上げを決意しました。
「セカンドステージ」は今春オープンしましたが、香川県高松市塩江町上西の内場池湖畔に、高級リゾートホテル跡を改築し周辺に田畑やビニールハウス、牧場、工房を整備し、自由気ままな田舎暮らして「第二の人生の活力をここで養ってもらえれば」と。
また、
▽運営に携わる地域住民の生きがいづくり
▽介護予防
▽地域のにぎわい創出
の3つの目標を持っています。
施設利用者には、日々の活動と併せて地域イベントへの参加して頂ければと思っています。
建物は、鉄筋コンクリート7階建ての本館と同3階建ての別館があり、両館で計65の客室を備え利用者は、周辺施設で他の利用者らと協力しながら農作業などに従事する。
自分の趣味に合わせて陶芸や木工、竹細工などを学ぶこともできます。
首都圏や京阪神を中心に県外にお住みの団塊世代や定年退職者の方にご入居戴きたく、1,300年前、行基菩薩が発見したと言われる塩江温泉郷の隣接であるセカンドステージで、第2の人生をお勧めします。
滞在費は夫婦2人で月額20万円からありますが、詳細なお問い合わせは、
セカンドステージ
電話087-893-1100
までお願いいたします。ご来所を心より歓迎致します。
「なにしょんな」第 15 号 2007年11月
高松市観光課 赤松 利幸
平成19年11月11日、「第31回 塩江もみじまつり」が開催されている紅葉真っ盛りの日曜日に、高松・塩江首都圏ふるさと会及び東京・別海ふるさと会、日大OB会や地元の有志ら約50名により、ふじかわ牧場の隣にある内場池緑地公園駐車場で記念植樹が行なわれました。
この植樹は、自然豊かで美しいふるさとを将来にわたり残そうと、池田会長の呼びかけで北海道や首都圏等から集まり、行なわれたものです。
私は、地元民及び市の職員として受入宿舎の手配や、植樹場所の選定、苗木の手配、記念碑の製作、市役所との連絡調整等を行なわせていただきました。
樹種については、池田会長より全面的にお任せを頂きましたので、迷わず「イロハモミジ」と「枝垂れ桜」を選定しました。
モミジは、塩江の美しい紅葉を代表する樹木ですし、桜は日本を象徴する樹木です。枝垂れ桜は、エドヒガンの一種で枝が長く垂れるものを、シダレザクラ(枝垂れ桜)又はイトザクラ(糸桜)と言うそうです。
枝垂れ桜は長寿の桜としても有名で、天然記念物に指定されている巨木がたくさんあります。樹齢千年以上と言われ、天辺から地面まで滝のように枝垂れることから命名された福島県三春町の「三春滝桜」や、樹齢千五百年と言われ国の天然記念物に指定されている岐阜県根尾谷の「薄墨桜」は特に有名です。
今回植樹したモミジと枝垂れ桜は、それぞれ5本ずつで、いずれも樹高が3m以上ある立派な苗木です。
地元のボランティア団体や有志で立派に育てたいと思っています。
また、今回植えたモミジの中に、数百・千本に一本と言われる、葉全体がまるでイチョウのように黄色く紅葉する「黄金色のモミジ」が含まれています。地元の造園業者が種から育てたものですが、「数十年間庭木を扱ってきたが、これほど黄色一色に紅葉するモミジには初めて出会った」と言っていました。
4月の桜や9月中旬の紅葉時期には是非、見に来て頂きたいと思います。
東京・別海ふるさと会 会長 真壁 伯良
平成12年7月14日~17日の日程で「東京・別海ふるさと会」と「首都圏ふるさと塩江会:現在は高松・塩江首都圏ふるさと会に改称」は、第1回目の合同旅行で北海道旅行を致しました。
7月半ばともなれば知床にも暑い夏が訪れていましたが北側にはまだ残雪が見られ、ある東京の方が、美しい山並みを望みながら、この素晴らしい自然を守るために、私達も寄付をさせて頂いたと話されたことに私は甚く感度致しました。
後に私も遠き人々の崇高な思想に共鳴し僅かですが寄付をさせて頂いた。
その頃、麓の街、斜里町では荒廃し続ける知床の自然を憂い、土地を買い戻すため全国に寄付を募っていました。
別海町は酪農と漁業の町ですが、牧草地を増やすため樹木が伐採され、自然に川は痩せ細り漁業にも影響が出ていました。その頃、漁協の婦人部の方々が植林をしていることを知り、創立十周年を迎えた東京・別海ふるさと会は、植林のお手伝いをすること決意し昨年、別海町上春別南10番地「ふるさとの森」にミズナラの木100本、そして「高松・塩江首都圏ふるさと会」も記念植樹されました。
今回、池田会長はじめ役員の皆様のご尽力そして高松市の関係者のご理解により素晴らしい植樹会が実施され、また、子々孫々に残る記念碑を設置されましたことに敬意を表しますと共に心からお慶び申し上げます。
また、讃岐うどんの講習会や観光、そして大西高松市長はじめ中井前塩江町長を表敬訪問することが出来大変光栄に存じます。
また、水沼別海町長のメッセージをご披露する機会を頂き誠にありがとうございました。
最後になりましたが、皆様の益々のご活躍とご健勝をお祈り申し上げます。
高松市塩江町上西 光本 信一
野山が秋色に染まる頃、2007年11月11日(日)首都圏に在住している我ふるさと塩江町出身者と北海道別海町等の出身の方々が、塩江町紅葉祭りに合わせて、記念植樹で多勢来町されました。
この日高松市、塩江町の関係者、地元協力団体と共に午前9時30分内場池緑地公園に集まり、冒頭この記念植樹を企画実施され、いつの日も故郷に思いをはせ、長年塩江を愛し続ける高松・塩江首都圏ふるさと会の池田会長がこの美しいふるさとの山河を子供たちに繋ぎ自然の山や川を守る趣旨の挨拶がありました。
その後、参加者は手分けしスコップ等を手に枝垂れ桜ともみじの木を各5本づつ地元の塩江造園の指導のもと1本1本丁寧に植え付け、風雨に耐えるように、木にはしっかり竹の支柱で固定し給水車を使い水もやりしつかりと植樹作業を終えました。
記念植樹の碑の除幕式を行い参加者全員の記念写真撮影があり、この記念碑には、ふるさとを想う情感溢れた自然を愛する言葉が表されています。参加者の氏名・団体名も一緒に記入されていました。
約1時間半の行事も終了し首都圏から来町された方々は、所定の日程通り旅行され無事帰京の途につかれたそうです。参加者の一人として本当にお疲れさまでしたと申し上げます。
幸いにも、この植樹した場所が自宅から500m程の日々通る身近な緑地公園内であることから大変うれしく思っております。
これからは、この苗木が大きく育ってくれるのを願い見守り続ける決意です。
この厳しい冬の寒波に耐え春にはきつと花を咲かせてくれると思います。5月頃には、どの木も新芽から若葉の黄緑から緑に早変し、他木に先んじて大空の太陽に向けて大きく育ってくれると期待しております。
春夏秋冬四季によって変化する木の写真と共に情況をふるさと会の皆様また参加されました皆様に報告してまいります。そしていつの日か成長した木の下で色々行事祝宴等を楽しみたいものです。
この公園は桜の名所でもあり花見で賑わいます。
秋には紅葉と自然ゆたかなこの地に全員の方々に再度のご来訪していただきお会いできることを心からお待ちしております。その時は、しっかり応援させていただきます。
この度は大変ご苦労様でした。そして地元塩江での植樹有難う御座いました。
東京・別海ふるさと会 滑川 静子
11月10日から2泊3日の日程で、高松・塩江首都圏ふるさと会の皆様と東京・別海ふるさと会の仲間総勢30人で高松・塩江町へ植樹に行ってきました。
まずは、高松空港から観光バスで市内観光、源平古戦場あとの屋島は遠くから見ると屋根の形をしております。
次に、高級な墓石の取れる石の町庵治町へ。アジ町と読むそうです。
四国八十八ヶ所88番札所の大窪寺へ、味わい深い古刹でした。昔、口減らしのため巡礼に出たと聞いていますが、最後の大窪寺へ辿りつけるのはそう多くはなかったと思います。山路を何ヶ月もかけて歩き、中には行き倒れもあったろうし、遠い昔に思いをはせて感慨ひとしおでした。
2日目、塩江造園の方々のご指導で、枝垂れ桜とモミジの木を10本植えました。
木の周りを20cm位離して5~6cm位の溝を掘り、水を張る植え方は、水不足の土地ならではの植え方があるものと感服です。
「うどん」作りは、薄く伸ばした生地を折りたたんで切るのですが、つな切れを防ぐためは生地の間に粉を入れるとうまくいくと教わりました。
光照寺では塩江茶をご馳走になり、蓋つきの茶碗に茶葉を入れ、蓋をずらして飲む、吸茶とおっしやいましたが、まさに中国文化でした。
夕食後の「カラオケ」大会では、僭越ながら審査委員長をおおせつかり、どなたにも甲乙つけられない状態でしたので、美男美女に賞を差し上げる事にしました。
最後の行程は、栗林公園は松の公園です。
栗林から松林に変わった理由は殿様と家来との関係を如実に現していてとても興味深いものでしたが紙面の都合上省きます。
池田会長さま、真壁会長さま、皆々様、思い出深い楽しい旅をありがとうございました。
*「なにしょんな」第15号 2007年11月にて掲載。
「なにしょんな」第 36 号 2018年5月吉日より
塩江町温泉観光協会会長 藤澤 英治
平成 29 年 3 月に策定された 「塩江温泉郷観光活性化基 本構想」に基づき、各種施策 に取り組をしています。ハー ド面では、まず、大 規模修繕工事のた め休業しておりま した「行基の湯」が、 昨年 11 月から再開 しました。
上西地区 で は 、「 奥の 湯 公 園」において、新たな温浴施設を整備することで、 現代サーカス滞在型制作施設 Shiono-AIR 上西小 学校の活用や、周辺の空き家を改修した簡易宿泊 施設を整備する計画も進めています。さらに、 「道の駅しおのえ」エリアについては、新たな塩 江地区の顔となる観光交流拠点として、再整備計 画を進めており、駐車場の拡大を始め、医療、物 販・飲食、温浴、観光情報発信等の機能の導入を 検討しています。
また、ソフト面では、塩江温泉観光協会のホーム ページを、より魅力的なものへとリニューアルす るための支援を行ったほか、今後、サイクリスト の受入環境整備などにも取り組んでいきたいと 考えています。
塩江温泉郷には、民間の温泉・宿泊施設や飲食店 のほか、豊かな自然や歴史的資源も多く、これら の既存の地域資源等と新たに整備を予定してお ります二つの拠点とをうまく連携させ、塩江地区 全体の活性化につなげていく考えです。
引き続き、 関係者皆様方の御理解・御協力をお願い申しあげ ます。
村山 淳
昨年 4 月から始まった 「ガソリンカー復元実行 委員会」では、塩江温泉郷 の繁栄を支え、ガソリンカ ーの愛称で親しまれた「塩 江温泉鉄道」の復元を行っ てきました。復元といって も、実際に鉄道を走らせる ことを目的とするのではなく、同鉄道を塩江町の 歴史の特異点として、現存する資料と乗車体験者 へのインタビューをもとに車両や当時の風景を 復元する文化的な活動です。
昨年度は香川高等専 門学校や香川大学創造工学部造形メディアデザ インコースの協力を得て、3D プリンターを利用 した、20 分の 1 サイズ(約 40cm)の車体模型の 復元、遺構散策マップ(日英両言語)発行、そし て乗車体験者へのインタビュー映像の記録(約 10 時間分)を行いました。
今年度は塩江美術館 で 8 月 10 日から 9 月 23 日まで開催されるガソ リンカー展「塩江温泉鉄道―風景と記憶―」に向 けて、実寸大アートの作成などを行っていく予定 です。
ぜひ、注目をお願いいたします。
一般社団法人瀬戸内サーカスファクトリー
代表理事 田中 未知子
現代サーカスの文化を日本に 花咲かせたいという思いで、 香川に移住してきて、はや 9 年目。
当時、イベント運営キ ャリアはすでに 10 年以上で したが「人のために何かをす る」ことをゼロから学び直したいと、最初の 1 年は割烹のフロアで働きました。一方で、片原 町に「サーカス堂ふなんびゅる」という事務所 を構えてお話会「千と一夜」を開催するなど現 代サーカスを知ってもらう取り組みを行ってい ました。
転機が訪れたのは 2012 年、ことでん仏 生山工場で 1 日限りの創作サーカス公演を行い、 大きな注目を集めたのです。そして 2016 年、日 仏共同作品「YA!」の滞在制作を塩江の上西小 跡施設で実施したのです。その後も折に触れ「に ぎやかになるわ」と住民の皆さんが応援してく ださることに、本当に感激しました。しかし、 その間にも温泉施設や宿泊施設の閉鎖が相次ぎ、 そのとき「サーカスは人を惹きつける力がある。 住民の方が助けてくれるように、私もこの地域 に何か役立てるかもしれない」と思ったのです。
現代サーカスを通じた国内外の文化交流のハブとして、外からの人々と町民による「相互助け 合いの村」にしていきたい、と思っています。
二川 裕一
池田会長にお声がけを頂き、 初めて投稿させて頂きます。
親父が亡くなり、長男でも あった為 60 歳で退職し香川 県の実家に帰って参りまし た。
ちなみに、現在の日本の食 料自給率は 40%(カロリー ベース)を切っており、計算 上は海外からの食料の供給が無ければ 10 人に 6 人は餓死することになります。 折も折、息子も脱サラして九州から地元へ帰っ てくるとのこと、思い切って「食い物を作ろ う!」と農業起業を決めました。
農家ではない為、農地は全て県農地機構から耕 作放棄地を 4 町歩程お借りし、現在はネギとニ ンニクを栽培しており、今秋から黒にんにくの 販売も予定してます。
近い将来、我が家のご飯は自前のお米で!、と 思っております。
食い物があって元気であれば何とかなる。
「食 は国の安全保障だ!」
松尾 彩加
美術作家の松尾彩加(まつお あやか)と申します。
私は高松 市木太町の出身で高松桜井高 校を卒業した後、東京の多摩美 術大学油画専攻に進学しました。現在も神奈川県にアトリエ を構え、関東を中心に全国で油 絵の作品を発表しています。
皆さんは油絵と聞くとどの様な絵を想像します か?
ダヴィンチの「モナリザ」でしょうか?ゴ ッホの「ひまわり」でしょうか?
油絵は「モナリザ」の様な滑らかな肌質の描写 も「ひまわり」の様な絵の具の盛り上がったこ ってりした描写も油絵の具を扱う人の筆さばき によって様々な表現にすることが可能です。
私は透明感を重視して水の絵を描いています。
現在は花に雨の雫が滴るシリーズで作品を発表 しています。
雨の一滴を宝石の様に美しく表現 する事を目指しています。
塩江を訪れたのは二 十数年ぶりですが町を散策し、塩江の豊かな水 に心を動かされました。
麗しい塩江の情景を作 家の視点で絵に表現できたらと思っています。
「なにしょんな」第 37 号 2018年11月
香川県埋蔵文化財センター 西岡達哉
筆者は、本会の「会報第 36 号」 において、内場城(塩江町上西) が巧妙かつ大規模な城郭である ことから、その経営者として、 旧土佐国の長宗我部氏が最も相 応しく、同氏が讃岐侵攻の足が かりとした可能性について紹介 した。 この見解について、去る 10 月 28 日に塩江地区コミ ュニティ協議会、安原文化の郷歴史保存会、高松・ 塩江ふるさと会の3者主 催の講演会において、詳 しく解説する機会に恵ま れたことから、今号にそ の要旨を掲載させていた だくものである。 戦国大名として 著名な長宗我部 元親は、天正6 年から同 13 年 にかけて旧讃岐 国へ侵攻し、27 城を攻撃したこ とが記録や伝承 として今日に伝えられている。内場城についても同 人の攻撃によって落城したことが長く語り継がれ てきたが、この伝承の真偽を明らかにする物証は得 られないまま時は過ぎていた。 こうした中で筆者は、平成 12 年から同城跡に踏査 に携わった結果、思いがけず多数の曲輪跡や堀切跡 などを発見しただけでなく、各遺構の造作が県内の 通有の城跡よりも格段に優れていることに気付き、 その特徴をもって伝承の中の長宗我部氏との距離 が俄然縮まる思いを抱いた。 まず曲輪跡については、平面形が通常はU字形の 馬蹄形を示すのに対して、方形にすることを意図し て形づくられていることに気付いた。これは、曲輪 の縁辺部について、盛土によって傾斜面に平坦地を 造成するという高度な土木技術が用いられている 証拠と考えられる。 また堀切跡については、城域の周縁部の各尾根筋に もれなく開削されており、自然の急傾斜地を防御施 設として利用することにより堀切を発達させるこ とがなかった多くの香川県内の城郭に比べると稀 有な事例となっていることに気付いた。やはり土木 技術が遺憾なく駆使された結果と考えることがで きる。 現在香川県下においては、およそ 400 箇所の城跡 などが知られているが、こうした優秀な土木技術を 駆使して山上に多くの曲輪や堀切を構築する築城 の手段は、本県の在来の築城方法ではないと考える。 土木技術を極めた者の所産と考えることが適当で あろう。
そこで、その技術の出所を近隣の城跡に求めた結 果、県内では西長尾城跡(丸亀市・まんのう町)に、 県外では長宗我部氏の本拠地の岡豊城跡(高知県南 国市)にたどり着いたのである。特に前者は、同氏 が讃岐侵攻の根拠地として旧讃岐国内に整備した 大規模な城跡で、多数の方形の平面形態の曲輪跡と、 精巧な二重堀切跡を見ることができる。高知県は県 土の大部分が山稜であるために、築城場所は嫌でも 山上や丘陵上にならざるを得ない。このために堅固 な城郭とするためには、土木技術を駆使した巧妙な 曲輪や堀切が不可欠なのである。西長尾城跡や岡豊 城跡にはその粋を見ることができる。 内場城跡に残された大規模かつ巧妙な遺構は、長 宗我部氏による攻略後の城の改修と再利用の現れ と考えられる。迫り来る織田及び豊臣氏の軍勢を迎 え撃つために、阿波国及び土佐国への交通の要衝に 構えた橋頭堡と考えることができるであろう。 内場城の落城伝承は、“長宗我部憎し”の地元感情 が生み出した“負”の史実抹消のための方便と考え てはいかがであろうか。
高松市創造都市推進局 参事 長井 一喜
本市では、平成29年3月に策定 した「塩江温泉郷観光活性化基本 構想」に基づき、各種施策に積極 的に取り組んでいます。 ハード面では、まず、大規模修繕工事のため休業 しておりました「行基の湯」が、今月11日から再 開する運びとなりました。また、上西地区では、「奥 の湯公園」において、新たな温浴施設を整備するこ とで、魅力的な集客拠点とすることを目指している ほか、現代サーカスの魅力を発信する民間団体が、 滞在型の活動拠点として、上西小学校の活用や、周 辺の空き家を改修した簡易宿泊施設を整備する計 画も進められています。 さらに、「道の駅しおのえ」エリアについては、 新たな塩江地区の顔となる観光交流拠点として、再 整備計画を進めており、駐車場の拡大を始め、医療、 物販・飲食、温浴、観光情報発信等の機能の導入を 検討しているところです。 また、ソフト面では、塩江温泉観光協会のホーム ページを、より魅力的なものへとリニューアルする ための支援を行った ほか、今後、サイク リストの受入環境整 備などにも取り組ん でいきたいと考えて います。
塩江温泉郷には、民間の温泉・宿泊施設や飲食店の ほか、豊かな自然や歴史的資源も多く、これらの既存の地域資源等と、本市が新たに整備を予定してお ります二つの拠点とをうまく連携させることで、塩 江地区全体の活性化につなげてまいりたいと存じ ますので、引き続き、関係者皆様方の御理解・御協 力を、よろしくお願い申しあげます。
「なにしょんな」第 36 号 2018年5月吉日より
元香川県教育長 細松 英正
文化「ざい」は、文化材であり、 文化在であり、時には文化済や文 化罪になることも無いとは言え ないが、地域に語り継がれ、受け 継がれて、地域の誇り・宝物とし ての文化財となる。多くの文化材 は、文化在として、そこに住む人々の生活の中で、 生活の一部として当たり前のように存在し、ともす れば、今ある人は、そのありがたみを知らずに生き ている。 文化材は、決して、自分から、積極的に自己アピ ールしないものであり、それだけに、人にその存 在・価値を見い出され、自然と愛おしまれ、大切に しようとする多くの人の気持ちに育まれて、文化財 となるものである。また、決して、行政の「〇〇指 定」という晴れがましいものを自ら求めようとはし ない。 ある文芸評論家が、伝統についてであるが、「今 必要なことは、伝統を新鮮にし、蘇らせ、その魅力 を次の世代にも伝えていくことであり、そのために は、まず『驚く』ということが大切である」旨、あ る雑誌に書いていたが、「伝統」を「文化財」に置 きなおしても、十分説得力があると思う。
先般、戦国末期の古文書にも登場する弓の名人・山 田蔵人が晩年、甲冑などを奉納したと伝えられる最 明寺で、これら遺品の調査に立ち会う機会を得た。 かなり朽ちてる物も多かったようには見受けられ たが、鏑矢の形をした矢じりからは、周りの空気を 切り裂く当時の響きが聞こえて来そうで、とても驚 かされた。 そして、驚かされているといえば、会報誌「なに しょんな」を長期かつ継続して発行し続けていると ともに、ふるさと塩江の内外で新たな絆を発掘し続 けている、塩江ふるさと会の活動がある。ふるさと 会そのものが、塩江を代表する文化財といっても過 言ではない、そのようにさえ思う。池田会長様をは じめ塩江ふるさと会の皆様の、今後ますますのご健 勝とご多幸を祈りつつ、これからも出来得れば、ご 一緒に驚き続けていたいと願う。(高松市内在住)
香川県埋蔵文化財センター長 西岡 達哉
内場池の西方に所在する「城山 (標高 449.3m)」は、その山名の とおり「内場城」の故地である。 廃城後の荒廃は著しいが、山頂 から尾根伝いに階段状の平坦地(曲輪跡)や、尾根 を切断する溝(堀切跡)などが多数見られる。なか でも、山頂一帯の 20 箇所以上の曲輪跡群と、尾根 の鞍部や先端部の土橋跡を伴う堀切跡が特徴的で ある。 しかも、城跡の範囲は南北約 700mに及んでおり、 高松城跡(高松市)の史跡指定範囲(最大幅 600m) を上回る規模であることも特筆される。 ところが、同城については、古文書などの記録が 現存しないために、築城者や攻城戦などは不明な点 が多く、平安時代末期から室町時代かけて藤澤氏や 川田氏が居城し、戦国時代に長宗我部氏の攻撃によ って落城したことがわずかな伝承である。 しかしながら、曲輪跡や堀切跡の造作が巧妙なこ とや、城域の規模が尋常でないことは、城跡が平安 時代や室町時代頃の未発達段階のものではないこ とと、藤澤氏や川田氏のような地方の小領主によっ て経営されたものではないことを暗示している。 一体、「誰が」この香川県有数の造作の巧妙さと規 模を誇る城郭を経営したのだろうか。 その謎を解く手がかりは、城跡の位置と伝承の中 の長宗我部氏の存在にあると考える。 まず城跡の位置は、徳島県境の相栗峠から高松市に 至る幹線道沿いであり、人や物の行き来を掌握する ための絶好ポイントである。古くから徳島県から阿 讃山脈を越えて香川県へ進軍するときの橋頭保に 位置付けられる軍事拠点であったことが推察され る。 そこに長宗我部氏の影が見え隠れする。伝承の中 で、内場城廃城の要因とされている同氏による攻城 戦については、今も本県下に根強い「長宗我部憎し」 の感情が創造した空想物語の可能性があるが、同氏 が同城を根拠地として讃岐侵攻を有利に進めたこ とは決して幻想に留まらないと考えられる。 巧妙かつ大規模な城の経営者としては、四国屈指の 岡豊城(南国市)などの経営者である長宗我部氏が 最も相応しいと考えられるからである。 内場城跡こそが、長宗我部氏の讃岐侵攻の足がか りの城郭として、本県や四国地方の戦国史に新たな ページを開く可能性を秘めた貴重な歴史遺産であ ることを強調したい。
歴史保存会顧問 藤澤 保
塩江町には弥生時代ころから 人々が住み、奈良時代には行基 菩薩により温泉が発見され「塩 江」という地名が生まれました。 戦国時代には弓の名人別子八郎 や山田蔵人が活躍し、江戸時代 になると高松藩主松平頼重公が別荘を建て、偉大な 儒学者藤澤東畡先生が生まれ、昭和になるとガソリ ンカーの運行により塩江は大いに賑わいました。こ れら文化的遺産が塩江町にはたくさん残されてい ます。これらの史跡、記念物や石碑などの文化財は 地域の風土と歴史の中で生まれ、長い年月をかけて 現在まで守り伝えられています。これらは私たちみ んなの宝です。私たちにはこの大切な文化財をより 多くの人々に知ってもらい守り保存し後世に伝え ていかなければならない使命があります。先日、歴 史資料館では特に子どもたちに理解してもらおう と「藤澤東畡先生ものがたり」を発行しました。ま た、コミ協により高松市無形民俗文化財に指定され ている「樺川たたら 踊り」と塩江で踊ら れている「しおのえ 踊り」の振り付けが 教本と DVD で制作 されました。そして、 本年度は昭和 4 年に 開通しわずか 12 年 で消えていった塩江温泉鉄道、このガソリンカーの 復元と詳細なジオラマでマップを作成するという 計画も検討されています。また、藤澤東畡先生もの がたりの DVD 化。そして秋には、藤澤姓の一人と して大変興味深い、藤澤氏の祖といわれている藤澤 新太夫光髙の居城「内場城跡」について研究されて いる西岡達哉先生によって講演会が開催される予 定です。これからも塩江の文化財保存活動にぜひご 協力をお願いします。(高松市内在住)
早井 幸子
ふるさと会の皆さま、お元気 でしょうか。塩江町では6月2 7日に町民ふれあい運動会が行 われます。今年度は中学校全校 生徒と大人たちが【塩江踊り】 を、小学校全校生徒で【たたら 踊り】を踊る予定です。中学校 では毎年、新一年生に運動会前 の体育の授業1校時50分の時間を取って【塩江小 唄・一合まいた・合歓の湯の町】の三曲を習得して 貰って出場しています。小学校の【たたら踊り】は 藤沢秋義先生や藤沢安雄さん等、先人のお力もあって、平成9年、【高松市無形民俗文化財・椛川たた ら踊り】として指定を受け、椛川たたら踊り保存会 も結成されましたが、椛川ダムの建設による住民の 流失や少子高齢化で保存会のご苦労も大変と思い ます。先日、塩江コミュニティ協議会が課題解決応 援加算事業で制作した「塩江町みんなの踊り」のC D・DVD・冊子が保存と発展に役立ってほしいと 思っています。小学生のたたら踊りは、昨年平成2 9年11月の高松市青少年健全育成事業発表アト ラクションとして、参加する子を放課後子ども教室 で募集すると「1地域の踊りを何でせないかんの」 と言う高学年の意見に賛同されてしまい、「踊りま す」と言って来てくれたのは3年生の内3名だけ。 同じ3年生の家を訪ね家族にも頼んで6名、その妹 2名を加えて合計子ども8名で【踊る子ども会】が 発足しました。衣装も揃えて11月の発表会は、 「かわいかった」と大好評。それをみた椛川ダム建 設の関係者から申し込みがあって、3月の椛川ダム の定礎式に、先導で保存会と共に踊りました。定礎 式の来賓方からも感心され褒められて、4月からの 校長先生のご方針もあり、運動会に全校で踊ること になりました。たたら踊りは1地域のものではなく、 塩江の宝の一つです。今は先生方もみんなして、傘 を回しながら練習中です。小学校も中学校も、これ からずーっと 毎年続けて練 習し踊って、ふ るさと塩江を 愛する心を育 て持ち続けて ほしいと思い ます。ふるさと 会の皆さまも機会あるごとに「塩江の踊り、いいね」 を連発してください。季節がらお身体大切にいつま でもよろしくお願いします。(高松市塩江町在住)
村山 淳
昨年8月に塩江町地域おこし協 力隊に着任しました、村山淳です。 この会報に紙幅を割かせていただ けるということで、私が塩江にき た経緯とこれから進めていく事業 を簡単に書こうと思います。私は 福島県いわき市出身で、着任直前 まで一橋大学大学院に在籍し、歴史学や言語学、文 学などを研究していました。修了後、故郷のような 谷あいの町に住みたいと思い日本中を探して塩江 町を見つけ、協力隊として赴任することになりまし た。 赴任して9ヶ月が経ち、ようやく塩江の現状 がわかってきて、町おこしの提案をすることができ るようになりました。年度が変わっていくつかのプ ロジェクトを立ち 上げているのです が、その中から今 回は2つ紹介した いと思います。 まず「ガソリンカ ー復元プロジェク ト」。こちらは塩江 美術館学芸員の小田有紗さんから提案をいただき、 香川大学創造工学部と香川高専の協力のもと進め ています。今年度内にガソリンカーの正確な模型を 作り、それを元に来年度以降、アート化やイベント 化を含む様々な企画を中長期的な視点で立ち上げ ていく予定です。 2つ目は「上西サーカス AIR プロジェクト」。こ ちらは一般社団法人瀬戸内サーカスファクトリー と共同で、上西小を中心にサーカスの滞在制作施設 を作るというものです。 折々、みなさまのお力をお借りすることもあると 思います。ぜひ、応援していただければ嬉しいです。 これからもよろしくお願いいたします。